「リベラル」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
221.184.80.14 (会話) による ID:67084312 の版を取り消し 中途半端な例示は良くない タグ: 取り消し |
|||
51行目:
1971年の『正義論』では、二番目の原理は「すべての人の利益」から「最も不遇な人々に最低限の利益」と定義が発展し、哲学書としては異例の20万部のベストセラーとなった。ロールズは、自由と平等という相容れない価値をなんとか結び付け、自由を重視するアメリカ社会が失いがちな公正さを担保しようとした<ref name="会田_p103" />。
1960年代末から1970年代は、アメリカ・リベラリズムの頂点であり、没落の始まりであった。リベラル政治はケネディ政権で本格的に動き出し、ジョンソン、ニクソン政権で仕上げられた。1964年、ジョンソンは南北戦争後も南部に残る黒人差別を撤廃させる公民権法を政治手腕で成立させ、再選後に更に貧困との戦い、福祉拡大、[[環境保護]]など「偉大なる社会」の建設に突き進んだが、ベトナム戦争の泥沼に足を取られ、三選出馬を断念した。ジョンソン政権を引き継いだニクソンは共和党ながら、[[アメリカ合衆国環境保護庁|環境保護庁]]の設
1960年以降、自由と平等が進化したアメリカに現れたのは、それぞれに正統を主張してやまないグループであった。ロールズの問題意識は、争いの無い安定した「共存」へと収斂していった。1993年、ロールズは第二の主著とされる『政治的リベラリズム』で「相容れることのできない宗教、思想、倫理上の教義で深刻に分断されている自由で平等な市民の間で、安定した公正な社会を築き上げることは可能か」と問いかけ、その多元社会の安定には「重なり合う合意(オーバーラッピング・コンセンサス)」という考え方を使用し、最低限の共通基盤を維持することで、安定した状態で共存できるとし、その共通基盤の核として「公正としての正義」を置いた<ref name="会田_p103" />。
|