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== エピソード ==
* 長らく三里塚闘争を見守り続けていた福田であったが、後年は[[成田用水]]を巡る反対同盟内部でのいざこざなどに嫌気をさしており、1990年頃になると現地を離れ東京で作品作りをしようとしていた。これを聞きつけた吉田司が、福田と青年行動隊に直談判をして、福田に三里塚闘争の総括役を引き受けさせた。師である小川紳介や[[進歩的文化人]]のような農民への無条件な賛美とは一線を画し、かついた吉田福田を三里塚闘争から引き離そうとしていことが吉田であったが、[[成田空港問題円卓会議|成田空港問題シンポジウム]]を控え熱田派が闘争の幕引きを図っている局面での福田の離脱を許さなかったのである<ref>福田克彦『三里塚アンドソイル』平原社、2001年、291・499-505頁。</ref>。
* 第1回シンポジウムで反対同盟事務局長が発表した「徳政をもって一新を発せ」と題する文章は、反対同盟員の議論を福田が纏めたたたき台をもとに作成された<ref>伊藤睦 編『三里塚燃ゆ―北総台地の農民魂』平原社、2017年、113-114頁。</ref>。
 
== 映像作品 ==