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'''日食'''<ref name="ox"/>(にっしょく、solar eclipse<ref name="ox"/>)とは[[太陽]]が[[月]]によって覆われ、太陽が欠けて見えたり、あるいは全く見えなくなる現象である。
 
'''日蝕'''と表記する場合がある。
{{mainMain|食 (天文)#表記}}
 
[[朔]]すなわち'''新月'''の時に起こる。
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太陽が交点付近にある期間を'''食の季節'''と言い、日食はこの期間以外には発生しない。交点は2ヶ所ある、つまり昇交点と降交点が相対しているので、太陽が黄道を1周する間に日食が起こる機会が2度ある。ただし、交点は太陽による月への[[摂動]]のため、1年に19度ずつ後退しており、太陽が交点を出て再び戻って来る周期は346.6201日となる。これを「食年」と称するが、実際の日食や月食は約346日から347日周期(交点は2ヶ所あるので、起こるとすれば半分の約173日周期になる)では起こっていない。日食は朔の時にしか起こらないから、食年に最も近い日数となる12朔望月すなわちおよそ354日周期(交点は2ヶ所あるので、半分の6朔望月、およそ177日周期になる)で見られる<ref>29.5306日×12≒354日</ref>。表は、21世紀初頭の日食の一覧であるが、桃色・水色で区分したそれぞれの日食は、ほぼ354日周期で発生している事がわかる。
 
{| class="wikitable sortable" style="text-align:center; font-size:small; background:#FFFFFF; line-height:1.4em"
!年月日<small>(世界時)</small>!!食の種類!!食の起こる地域!!備考
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|2007年9月11日||部分食||南アメリカ中部・南部、南極||
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|2008年2月7日||金環食||南氷洋、南極半島||
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|2008年8月1日||皆既食||北アメリカ北端、北極、シベリア、中国西部||
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|2009年1月26日||金環食||南大西洋、南インド洋、インドネシア、フィリピン||
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|2009年7月22日||皆既食||インド、中国南部・中部、[[奄美群島]]、南太平洋中部||
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|2010年1月15日||金環食||中央アフリカ、インド洋、東南アジア、華北||
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|2010年7月11日||皆既食||ニュージーランド北島洋上、南太平洋、南アメリカ南端||日本時間では12日
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|2011年1月4日||部分食||ヨーロッパ、北アフリカ、中央アジア||
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|2011年6月1日||部分食||グリーンランド、東シベリア||日本時間では2日
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|2011年7月1日||部分食||南氷洋||
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|2011年11月25日||部分食||南大西洋、南氷洋、オーストラリア南方||
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|2012年5月20日||金環食||華南、日本、アリューシャン列島、北アメリカ||日本時間では21日
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|2012年11月13日||皆既食||オーストラリア北部、南太平洋、南アメリカ西沖||
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:※表のデータは、主として『理科年表 平成26年』(丸善 2013年)によった。
 
食年(346.6201日)と12朔望月(354.3672日)には7〜8日もの差があるが、それでうまく日月が重なり、日食が起こるであろうか。太陽と月は共に30分前後の視直径であるから、ちょうど交点でなくとも、その前後の場所で出会えば食が起こり得る。その範囲は、条件により多少異なるが<ref>月が近地点にあれば大きく見えて白道上を早く移動し、地球が遠日点にあれば太陽は小さく見えて黄道上をゆっくり動く、等。</ref>、交点の前後15度から18度程度である。仮に交点から15度もしくは18度近く離れた所で月と太陽が最接近(日月の合)すれば、月は太陽の一部を隠して北極もしくは南極付近で食が見られる。その約354日後には日月は更に交点の近くで合となり(最接近し)、低緯度で中心食となる。しかしその後は月と太陽は離れる一方となり、4回程度で食は起こらなくなる。上の表で、例えば桃色の場合は南極での中心食で始まり、急速に北上して北半球で周期を終えており、水色で示した食は、北極に近い高緯度での中心食に始まり、南下して南極での部分食として終わっているのがわかる。すなわち、太陽が交点から反対側の交点に行くには173.3101日弱かかり、元の交点に戻るのには346.6201日を要する一方、6朔望月は177.1836日、12朔望月は354.3672日である。従って、月と太陽の位置のずれは回数を重ねるごとに大きくなる。それは、ある時点で日食が起きた場合、いつまでもその状況は続かず、4回ほどで途切れてしまう事を意味する。回を重ねるたびに日月の距離が大きくなり、ついには食を起こさなくなるのである。むろん、新たな周期が始まっては繰り返され、よって日食が途絶える事はないのは、表を見ても明らかである。
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古代において、日食は重大な関心を持たれていた。中国では、紀元前2000年頃の'''夏'''の時代に、義と和という2名の司天官<ref>「天文学者」と表記した書籍もあるが、当時の中国には現在のような天文学者という職種は無かった。実際には、暦の作成のために天体観測をする官僚である。</ref>が酒に酔って日食の予報を怠ったため処刑された、という有名な話が『書経』に記されており、事実であれば当時既に日食の予報が行なわれていた事になって、世界最古の日食予報になるが、多くの学者の研究にも関わらず該当する日食がなく、この記事そのものの信ぴょう性も疑われている<ref>斉田博 『おはなし天文学 地球の雲状衛星』 地人書館 1975年、斉藤国治 『星の古記録』 岩波新書 1982年、その他による。義と和が田舎に帰って泥酔していた時に急に日食が起こって首都の長安が闇に包まれた、と『書経』にあり、これは紀元前2000年頃の記述と考えられたので、その前後に起きた幾つかの日食が候補に上げられたが、詳細な検討の結果、皆既日食ではなかったり、日食は起きたが中国から遠く離れた所であったので見られなかったものなど、『書経』の記述に一致するものは見つからなかった。</ref>。
 
中国においては[[1994年]]に存在が確認された「[[上博楚簡]]」と呼ばれる竹簡の中に『競建内之』と称される物があり、[[斉 (春秋)|斉]]の[[桓公 (斉)|桓公]]が皆既日食を恐れて[[鮑叔]]の諫言を聞いたという故事が載せられている<ref group="注">『[[春秋左氏伝]]』に類似した内容の記事が[[昭公 (魯)|昭公]]26年([[516年]])の条に載せられているが、桓公ではなく[[景公 (斉)|景公]]のこととされ、かつ公が恐れたのは[[彗星]]とされている。だが、魯国の記録とされている『[[春秋]]』経本文には、対応する彗星に関する記事は無いこと(短時間かつ地域が限定される日食と違い、彗星ならば数日間にわたって地球上の広範な地域で観測可能である)、そもそも「彗星」という呼称は戦国時代以後に発生したもので当該記事以外の『左氏伝』の記事では[[春秋時代]]当時の呼称である「星孛」で統一されていることから、『左氏伝』の記事は元は桓公と日食の話であったものが戦国時代以後に景公と彗星の話として誤って混入された可能性が高いとされる。また、[[小沢賢二]]は戦国時代に日食予報が行われるようになったことで日食に対する見方が変化したことも日食→彗星への変化の一因としている。([[小沢賢二]]「春秋の暦法と戦国の暦法」(初出:『中国研究集刊』45号(大阪大学、[[2007年]])/所収:小沢『中国天文学史研究』(汲古書院、[[2010年]]) ISBN 978-4-7629-2872-7 第4章))</ref>。『[[史記]]』においては専横を敷いていた[[前漢]]の最高権力者[[呂雉|呂后]]が日食を目の当たりにし「悪行を行ったせいだ」と恐れ、『[[晋書]]』天文志では太陽を君主の象徴として日食時に国家行事が行われれば君主の尊厳が傷つけられて、やがては臣下によって国が滅ぼされる前兆となると解説しており予め日食を予測してこれに備える必要性が説かれている。中国の日食予報は[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]から行われていたが、[[三国時代 (中国)|三国時代]]に編纂された[[景初暦]]において高度な予報が可能となった。
 
このため、[[日本]]の[[朝廷]]でも[[持統天皇]]の時代以後に[[暦博士]]が日食の予定日を計算し[[天文博士]]がこれを観測して[[天文密奏|密奏]]を行う規則が成立した。[[養老律令]]の儀制令・[[延喜式]][[陰陽寮]]式には暦博士が毎年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]に陰陽寮に今年の日食の予想日を報告し、陰陽寮は予想日の8日前までに[[中務省]]に報告して当日は国家行事や一般政務を中止したとされている。[[六国史]]には多くの日食記事が掲載されているが、実際には起こらなかった日食も多い。ただしこれは日食が国政に重大な影響を与えるとする当時の為政者の考えから予め多めに予想したものがそのまま記事化されたためと考えられ、実際に日本の[[畿内]](現在の[[近畿地方]])で観測可能な日食(食分0.1以上)については比較的正確な暦が使われていた[[奈良時代]]・[[平安時代]]前期の日食予報とほぼ正確に合致している。<!-- 参照:細井浩志『古代の天文異変と史書』(吉川弘文館、2007年)ISBN 978-4-642-02462-4 -->
 
[[1183年]]の[[治承・寿永の乱]]の[[水島の戦い]]では戦闘中に金環日食が発生し、[[源氏]]の兵が混乱して[[平氏]]が勝ったと[[源平盛衰記]]などの史料に記されている<ref group="注">源平盛衰記には、「天にわかに曇り日の光も見えず、闇の夜のごとくなりたれば、源氏の軍兵ども日食とは知らず、いとど東西を失って」とある。</ref>。当時、平氏は公家として暦を作成する仕事を行なっていたことから平氏は日食が起こることを予測しており、それを戦闘に利用したとの説がある<ref>{{Cite news
| url = http://mainichi.jp/area/okayama/news/20120519ddlk33040517000c.html
| title = スコープ2012:21日に金環日食 源平水島合戦、勝敗分けた天文知識 日食予測、平家が勝利 /岡山
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=== サロス ===
既に記したとおり、1朔望月は29.5306日であり、223朔望月は6585.3212日となる<ref>ここで扱っている数値は煩雑を避けるため丸めてあるので、ある数値とその倍数が細部で一致しない。一例として、1朔望月はより正確には29.530589日であり、その223倍は6585.321347日となる(『理科年表 平成26年』)</ref>。月が交点を出て再び戻って来る(交点から始まる軌道を一周する)交点月は27.2122日であり、242交点月は6585.3575日で、前者にきわめて近い。また月が地球をめぐる公転軌道のうちで近地点に来た時を近点月と言うが、239近点月は6585.5375日で、やはり非常に近い。さらに1食年346.6201日を19倍する、すなわち19食年は6585.782日で、これも大差がない。そのため、223朔望月に当る18年と11日([[閏年]]の配置によっては10日)と8時間ほどの周期でよく似た状況の日食(継続時間、食の種類等)が繰り返される。これがサロスと呼ばれる周期である。
 
ただ、余分の8時間が曲者で、次回の日食は経度でおよそ120度西にずれた所で起こる。その次はおよそ240度西方に動き、3回目で元の位置に戻る。そのため、実用上は3サロス、すなわち54年と約1ヶ月を用いるのがよい<ref>3サロス周期をギリシャ語でエクセリグモス(exeligmos)と呼ぶ。</ref>。下の表にサロスの実例を示す。3サロス毎にほぼ同じところで日食が起こっている事や、サロスは近点月や食年の倍数とよく一致しているので、毎回起こる食の状況も似ていることがわかる。
 
{| class="wikitable sortable" style="text-align:center; font-size:small; background:#FFFFFF; line-height:1.4em"
!年月日<small>(世界時)</small>!!食の種類!!食の起こる地域
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{| class="wikitable sortable" style="text-align:center; font-size:small; background:#FFFFFF; line-height:1.4em"
!年月日<small>(世界時)</small>!!食の種類!! 食の起こる地域と食の概要
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|1937年6月8日||皆既食||南太平洋東部、南アメリカ西岸。皆既継続時間7分4秒。20世紀第2位の長さの皆既日食
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|1955年6月20日||皆既食||インド洋西部、東南アジア、南太平洋。皆既継続時間7分8秒。20世紀最長
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|1973年6月30日||皆既食||南アメリカ北部、北アフリカ、インド洋。皆既継続時間7分3秒。20世紀第3位
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|1991年7月11日||皆既食||中部太平洋、中央・南アメリカ。皆既継続時間6分53秒
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|2009年7月22日||皆既食||インド、華中、奄美群島、中部太平洋。皆既継続時間6分39秒。21世紀最長の皆既日食
|}
 
{| class="wikitable sortable" style="text-align:center; font-size:small; background:#FFFFFF; line-height:1.4em"
!年月日<small>(世界時)</small>!!食の種類!!食の起こる地域と食の概要
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|1995年10月24日||皆既食||西アジア、インド、東南アジア、西太平洋。最大継続時間2分10秒
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|2013年11月3日||金環皆既食||北アメリカ東沖、中部大西洋、アフリカ中央。皆既継続時間1分40秒
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|2031年11月14日||金環皆既食||北西太平洋、中部太平洋、パナマ。皆既継続時間1分8秒
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|2049年11月25日||金環皆既食||紅海、アラビア海、インドネシア、西太平洋。皆既継続時間38秒
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|2067年12月6日||金環食||中央アメリカ、南アメリカ北岸、大西洋、アフリカ中部。皆既継続時間8秒
|}
 
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ただし、19年及び235朔望月に対し20食年との差が7日余り出るのが問題で、回を重ねるごとにこれが大きくなるので、予報としては5-6回くらいで使えなくなる。下の表にメトンの例を示す。
{| class="wikitable sortable" style="text-align:center; font-size:small; background:#FFFFFF; line-height:1.4em"
!年月日<small>(世界時)</small>!!食の種類!!食の起こる地域
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|2012年5月20日||金環食||華南、日本、アリューシャン列島、北アメリカ
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|2031年5月21日||金環食||アフリカ大陸、インド南端、インドネシア
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|2050年5月20日||金環食||ニュージーランド南東沖、南太平洋
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|2069年5月20日||部分食||ドレーク海峡付近(南アメリカと南極の間)
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また北京天文台には日食神話を描いた石の彫刻があり、以下のような説明が添えられている。
: 「この彫刻の絵は日食の原因を説明している。金烏(太陽の象徴)の中心が[[ヒキガエル科|ヒキガエル]](月の象徴)によって隠されている。[[漢]]時代の人々はこの現象を太陽と月の良い組み合わせと呼んでいた」
ここで金烏とは金色(太陽)の中にいるという三本足の[[カラス|烏]]([[八咫烏]]を参照のこと)であり、ヒキガエルは月の[[クレーター]]の形に由来するものである。この解説文からは、当時の文化において天文現象としての事実の認識と現象に対する愉快な見立てとが両立していたことが窺える。
 
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
<references group="注"/>
 
=== 脚注・出典 ===
{{Reflist|refs=
<ref name="ox">{{Cite book|和書
259 ⟶ 248行目:
|page = 304頁
|isbn = 4-254-15017-2
}}</ref>
</ref>
}}