「教育ニ関スル勅語」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
小室直樹による見解
221行目:
まず皇祖皇宗、つまり[[皇室]]の祖先が、[[日本]]の[[国家]]と[[日本国民]]の[[道徳]]を確立したと語り起こし、忠孝な民が団結してその道徳を実行してきたことが「[[国体]]の精華」であり、教育の起源なのであると規定する。続いて、父母への孝行や夫婦の調和、兄弟愛などの[[友愛]]、民衆への[[博愛]]、学問の大切さ、遵法精神、一朝事ある時には進んで国と天皇家を守るべきことなど、守るべき12の徳目(道徳)が列挙され、これを行うのが天皇の忠臣であり、[[国民]]の先祖の伝統であると述べる。これらの徳目を[[天皇の一覧#歴代天皇の一覧|歴代天皇]]の遺した教えと位置づけ、国民とともに天皇自らこれを銘記して、ともに守りたいと誓って締めくくる。
-->
 
== 文法誤用説 ==
教育勅語に文法の誤用があるという説がある。すなわち、原文「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」部分の「アレバ」は、条件節を導くための仮定条件でなくてはならず、和文の古典文法では「[[未然形]]+バ」、つまり「アラバ」が正しく、「アレバ」は誤用である、とする説である。1910年代に中学生だった[[大宅壮一]]が[[国語 (教科)|国語]]の授業中に教育勅語の誤用説を主張したところ教師に諭された、と後に回想している<ref>{{Cite book|和書
244 ⟶ 243行目:
|isbn = 4-87346-077-8
}}</ref>で「「アレバ」は「アラバ」の誤りなれば」として「秋風が鬱の顛頂かすめたり「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」」の歌がある。
 
== 小室直樹による見解 ==
教育勅語は「聖諭六言」や「康熙聖諭す」と並べられる場合があるが、教育勅語はこれらとは根本的に違う道徳を説いている。教育勅語の相手は「臣民」である。儒教では「臣」と「民」では権利も義務も異なる二重道徳であるが教育勅語は「臣民」の普遍道徳を説いている。儒教は五倫といい五つの根本規範(Grundnorm)を説く。この根本規範の第一規範(最重要規範)は「孝」(父子の親)であり「忠」(君臣の儀。帝への義務)は第二規範にすぎない。教育勅語は、第一規範と第二規範の順位を逆転させている。
これらから明白なことは、教育勅語は新規範の創造であり儒教の規範とは根本的に異なる。新規範の創造という点ではキリスト教的であり、明治天皇はニケア信条(キリストは神であるという信条)におけるイエス・キリストの役割を演じた。
 
== 脚注 ==
251 ⟶ 254行目:
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=大原康男|authorlink=大原康男|year=1996|month=10|title=教育勅語 : 教育に関する勅語|publisher=ライフ社|isbn=4-89730-034-7}}
* {{Cite book|和書|author=小室直樹 色摩力夫|authorlink=小室直樹|year=1997|month=11|title=人にはなぜ教育が必要なのか|publisher=総合法令|isbn=4-89346-571-6}}
* {{Cite book|和書|author=清水馨八郎|authorlink=清水馨八郎|year=2000|month=1|title=「教育勅語」のすすめ : 教育荒廃を救う道|publisher=日新報道|isbn=4-8174-0457-4}}
* {{Cite book|和書|author=八木公生|authorlink=八木公生|year=2001|month=1|title=天皇と日本の近代 下 「教育勅語」の思想|publisher=[[講談社]]|series=[[講談社現代新書]]|isbn=4-06-149535-6}}