「九条満家」の版間の差分

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== 略歴 ==
[[応永]]11年([[1404年]])12月に[[元服]]<ref name="鎌倉・室町p162"> 安田、1990年、p.162 「九条満家」 の項(執筆:武田彩子)</ref>。[[九条家]]では初めて[[足利将軍家]]からの[[偏諱]]を受けた人物であり、[[室町幕府]]第3代[[征夷大将軍|将軍]]・[[足利義満]]から「満」の字を与えられた<ref>{{refnest|安田、1990年、p.34 「足利義満」 の項(執筆:新田英治)<ref group="注釈">満家の元服当時、義満は将軍職を子の[[足利義持|義持]]に譲り法名の「道義」を名乗っていたが、時の権力者として「満」の字を与えていたことが窺える。</ref>}}。初めは父・経教の1字と合わせて'''満教'''(みつのり)と名乗り<ref name="鎌倉・室町p162" />、のちに'''満輔'''(みつすけ)<ref>{{refnest|group="注釈"|[[永享]]3年([[1431年]])から同10年([[1438年]])にかけての『公卿補任』で「満輔」の名が見られる<ref name="yasuda">安田、1990年、p.162 「九条満家」 の項(執筆:武田彩子))</ref>。}}、'''満家'''<ref>{{refnest|group="注釈"|永享10年(1438年)に称する(安田、1990年、p.162<ref 「九条満家」 の項(執筆:武田彩子))。<name="yasuda"/ref>。}}と改名した。
 
50年近くも歳の離れた異母兄・忠基に跡継ぎがいなかったため、その養子という形をとって、九条家の第12代当主となる。
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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