削除された内容 追加された内容
8行目:
Tammuzという名はアッカドのTammuziからきたもののようで、初期のシュメールのDamu-zidを源にしている。これが後に標準シュメール表記のDumu-zidになり、アッカド語ではDumuziになった。[[フェニキア]]では[[アドーニス|アドニス]](Adonis)となり、後にギリシャ神話にも取り込まれた。
 
バビロニアでは、その名の元となった神タンムズを讃えてタンムズの月が決められた。現代の[[ユダヤ暦]]は[[バビロン捕囚]]以降のものが基になっているので、ユダヤ暦でもタンムーズは月の名前の一つになっている。古代の中近東やエーゲ海沿岸地方では、[[夏至]]の到来と共に服喪を行う習慣があった(アドニスの園の儀式については[[死と再生の神]]参照)。バビロニア人は、昼間の時間の減少と夏の炎熱が死に始める時期を、タンムズに六日間の「葬式」をあげることで区切ったのである。その儀式はエルサレム寺院(Temple in Jerusalem)の扉にすら見られ、改宗を進める[[エゼキエル]]をおののかせた。
 
:「かくして彼は我を連れ北を向いたる神の家の扉に着きたり。そこにはタンムズ(の死)を嘆く女達座りき。彼、我に語りて曰く『これを見たか、おお、人の子よ。再び振り向いて見よ。そうすればこれよりも遥かに忌まわしいものを見ることになろう。』」-- [[エゼキエル書]] 8.14。