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アウラングゼーブは先述したように若年よりスンナ派に沿った生き方をし続けた人間であり<ref name="p236"/>、サティーシュ・チャンドラは「生きた聖者」<ref>チャンドラ『中世インドの歴史』、p.348</ref>、ウィリアム・ノリスは「宗教に全てを捧げたムガル王」とさえ呼んでいる<ref>スブラマニヤム『接続された歴史 インドとヨーロッパ』、p.253</ref>。[[近藤治]]は、アフマド・シルヒンディーの思想がアウラングゼーブの考えた方につながり、ひいてはその統治に大きな影響を与えたと述べている<ref>小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.178</ref>。アウラングゼーブの書簡の中で最も多い話題は、神([[アッラー]])への恐れであった。また、アウラングゼーブはその生涯で数度にわたって自らコーランの書写を行っている。
 
アウラングゼーブの私生活は禁欲主義に基づいて、宝石はほとんど身に着けず、値段の安い服を着ている質素倹約なものであった。そればかりか、自ら作った貴族のために作った帽子、装飾文字で書かせた自身のデリー近郊にあった小さな農場などから得られる僅かな収入だけで私生活を賄おうとした<ref name="p236"/>。彼はペルシア語の詩作を趣味とし、良馬を好み、果実を好物としていた。
 
アウラングゼーブは皇位継承戦争のおいては3人の兄弟を抹殺する非情な手段をとったが、
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