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'''北但馬地震'''(きたたじまじしん)あるいは'''但馬地震'''(たじまじしん)<ref>[http://ci.nii.ac.jp/els/110006606005.pdf?id=ART0008572430&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1374485155&cp= 但馬地震調査報告] [[今村明恒]]</ref>
== 概要 ==
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円山川流域、特に豊岡、城崎の町に甚大な被害をもたらした。揺れを感じる直前には、円山川の河口付近において海側から[[大砲]]のような音が断続的に聞こえ、地震発生時には、豊岡の町で地面が16秒間に4回も強く波打ったという。当時の建築物は[[木造]]が大半であったために、地震の初動で建物の多くは一気に倒壊した。折しも昼時で、炊事のために火を起こしていた民家や旅館の倒壊に伴い、瞬く間に火の手が上がった。
この火災により、豊岡では町の半分が焼失し
一方で、震源地付近と考えられる[[港村 (兵庫県)|港村]]田結(現在の豊岡市田結)では83戸中82戸が倒壊、10カ所前後から煙が上がったが
但馬地方北部、円山川流域のこの地域は
円山川の改修に従事していた朝鮮人労働者の多くも救援に奔走しており、後に県知事の表彰を受けている。また
この地震は、[[関東大震災]]やその後に[[関東地方]]で地震が頻発したことによって広まった「地震は関東で起きるもの」という先入観を打ち崩した。地震後、豊岡や城崎では道路幅拡大や耐火建築の促進など
== 脚注 ==
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