「エルナン・コルテス」の版間の差分
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{{Infobox person
| name = エルナン・コルテス
| image =
| alt =
| caption = エルナン・コルテス
| birth_name = Hernán Cortés de Monroy y Pizarro
| birth_date = [[1485年]]
| birth_place = [[メデジン (スペイン)|メデジン]]、[[カスティーリャ王国]]
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[[1992年]]から[[2002年]]の[[ユーロ]]導入までスペインで発行されていた最後の1,000[[ペセタ]]紙幣の表面に肖像が使用されていた<ref>裏面は[[フランシスコ・ピサロ]]</ref>。
== 生涯 ==
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コルテスはアステカ帝国を支配、そしてアステカ文明を完膚なきまでに粉砕し、その文化に全く理解を及ぼさなかった。また、コルテスはキリスト教徒、それも敬虔なる[[カトリック教会|カトリック]]信徒であったがために、インディオの社会が持っていた[[人身供犠]]などの「野蛮」とされる側面のみをあげつらい、インディオの習慣を廃止させようとしたとの意見を言う者もある。
かつてはコルテスの行為に関しては、インディオたちを人身供犠などを掲げる残酷な旧来の宗教の因習や鞏固な身分制から解放した、宣教師によって福音に接することが出来た、などと肯定的に捉える見解が大半を占めた。だが、スペイン人による隷属と搾取は、[[先住民]]の[[文化]]
そして、新たな隷属と搾取の先にあったのは、インディオ自身によるスペインからの独立運動に他ならなかった。16世紀後半にはスペイン政府が直接統治に乗り出したため、コンキスタドール(とその後継者たち)が度々反乱を起こしたが、小規模な物に過ぎず、独立にまでは至らなかった。[[18世紀]]から[[19世紀]]にかけて多発したインディオの反乱は後にメキシコ独立の原動力とはなった。だが、メキシコ合衆国の実権を手にしたのは、かつて略奪と虐殺を繰り返したコンキスタドールの子孫に過ぎなかった。インディオの社会的立場の向上は20世紀にならなければ実現し得なかったのである。
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