「ゲオルグ・オッツ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
カテゴリーを追加。 |
+Category:ソビエト連邦の歌手; +Category:タリン出身の人物; +Category:1920年生; +Category:1975年没 (HotCat使用), {{複数の問題}}ほか |
||
1行目:
{{複数の問題
|出典の明記=2018年2月10日 (土) 09:07 (UTC)
|Wikify=2018年2月10日 (土) 09:07 (UTC)
|ソートキー=人1975年没}}
{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
| Name = ゲオルグ・オッツ
26 ⟶ 30行目:
| Notable_instruments =
}}
{{Portal クラシック音楽}}
'''ゲオルグ・オッツ
== 経歴 ==
ゲオルグ・オッツは1920年ペトログラード(現[[サンクト
1941年に[[赤軍]]に動員される。タリンから「シベリア」号で[[サンクトペテルブルク|レニングラード]]へ軍隊編入のため送られる。8月18日に[[ゴーグラント島]]付近で船が[[ドイツ]]の機雷爆撃にあう。オッツは機雷掃海艇で掃海活動にあたる。レニングラードからは鉄道で[[チェリャビンスク]]近くのズィリャンカに送られ軍務につく。その鉄道駅で舞台監督のP. ピルドロースに会い、彼が結成した[[ヤロスラヴリ]]エストニア芸術アンサンブルに加わることになり、そこで初めて専門的な声楽訓練を始めた。
1944年にタリン音楽学校へ入学し、外部学生として2年間学んで卒業した。その後タリン音楽大学(現[[エストニア音楽アカデミー]])で [[ティート・クーズィク]](Tiit Kuusik)の下で学び、1951年に卒業した。
39 ⟶ 44行目:
==家族==
*父:[[カール・オッツ]](1882~1961)
== 脚注 ==▼
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
45 ⟶ 54行目:
*[http://georg-ots.narod.ru/rep-p.html ゲオルグ・オッツ]
{{Music-bio-stub}}
▲== 脚注 ==
{{Classic-stub}}
{{デフォルトソート:おつつ けおるく}}
[[Category:ロシアのオペラ歌手]]
[[Category:ソビエト連邦の歌手]]
[[Category:タリン出身の人物]]
[[Category:1920年生]]
[[Category:1975年没]]
|