「中書島」の版間の差分

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{{Pathnav|日本|近畿地方|京都府|京都市|伏見区|frame=1}}
'''中書島'''(ちゅうしょじま)は[[京都市]][[伏見区]]の地名。
 
== 地理 ==
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== 由来 ==
[[文禄]]年間、[[中務省|中務少輔]]の職あっ任官していた[[脇坂安治]]が[[淀川|宇治川]]の分流に囲まれた島に屋敷を建て住んだことから「中書島」の名前が生まれたとされる。中務少輔の[[唐名]]が「[[中書省|中書]]」であったことから、脇坂は「中書(ちゅうじょう)さま」と呼ばれていた。その「中書さま」の住む屋敷の島という理由で「'''中書島'''」と呼ばれるようになった<ref>「関西の鉄道」№53 2007年7月20日発行 95頁「中書島のはなし」</ref>。伏見には他にも、かつての大名屋敷にちなむ地名が多い。
 
== 歴史 ==
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[[昭和]]初期には深草に司令部を置く[[第16師団 (日本軍)|第16師団]]の将校、兵士にも利用されていたが、[[1958年]]([[昭和]]33年)[[3月15日]]、[[売春防止法]]によって遊廓としての役割を閉じ、花街のみとなった。当初、転業をめぐってお茶屋派と学生相手の下宿派に分かれ対立してきたが沈静化し、その後、徐々に衰退してくるようになり、[[1970年]](昭和45年)に花街としての長い歴史に終止符を打った。現在は普通の住宅地であり、わずかながら花街、遊廓時代の建物が残されている。
 
この地で生れた[[西口克己]]の小説「廓」の舞台になったことでも知られる。
 
== 脚注 ==