「中畑清」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
48行目:
[[帝京安積高等学校|安積商業高校]]で三塁手、遊撃手、捕手を務め、[[駒澤大学硬式野球部|駒澤大学]]では直射日光を避ける為の偏光サングラスと一本足打法で注目を浴び、2年の春には[[東都大学野球連盟|東都大学リーグ]]で首位打者争いをする。リーグ通算82試合出場、300打数92安打、打率.307、10本塁打、51打点。[[1973年]]秋季リーグ最高殊勲選手。ベストナイン4度受賞。2度の全日本入り。
 
'''駒澤三羽ガラス'''(「駒大トリオ」)と呼ばれた[[平田薫 (野球)|平田薫]]、[[二宮至]]と共に[[1975年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1975年のプロ野球ドラフト会議]]の目玉となる。巨人からの1位指名が有力視され駒澤大学の合宿所に報道陣が殺到したが、[[千葉県立銚子商業高等学校|銚子商業]]の[[篠塚和典|篠塚利夫]]が1位指名された。報道陣が帰って行くのを見て中畑は別室で将棋をしていたが、3位指名されたと聞き慌てて戻った。「高卒の人間に先に指名された」とがっかりした反面、ファイトが増したという。中畑は[[北海道拓殖銀行]]への就職が内定していたが、当時監督だった[[長嶋茂雄]]の存在などが後押しとなり、内定を辞退してプロ入りを決意。指名されなかった平田と二宮も一緒なら入団すると申し入れ、巨人もこれを受け入れた(2人はドラフト外で巨人に入団)。
 
=== 現役時代 ===