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=== 旧ハプスブルク君主国 ===
[[File:20110716 Otto von Habsburg funeral procession 2181.jpg|thumb|right|210px|[[オットー・フォン・ハプスブルク]]の葬儀において、帝国時代の軍服に身を包んで行進する王党派]]
[[第一次世界大戦]]に敗れた後、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]は解体され、複数の小さな共和国に分裂した。しかし[[ハンガリー]]では王制が復活し([[ハンガリー王国 (1920-1946)|王なき王国]])、最後の国王[[カール1世の復帰運動]]が起きた。その後、カール1世の皇太子であった[[オットー・フォン・ハプスブルク]]が1930年代における[[オーストリア]]の君主制復活運動を指導し、大きな影響力を持った。当時のオーストリア独立維持派の間では、[[ナチス・ドイツ]]との併合を阻止するには[[ハプスブルク家]]の下での君主制復活が最良の方法だと考えられていた。
 
現在、オーストリアでは[[黒黄同盟]]、[[チェコ]]では{{仮リンク|チェコ・コルナ (政党)|label=チェコ・コルナ|cs|Koruna Česká (monarchistická strana Čech, Moravy a Slezska)}}といった王党派の政治団体が活動している。