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* [[大韓民国大統領]]の[[朴正煕]]とは[[三菱商事]]の当時の藤野忠次郎社長の後押しで経済協力と[[ホットライン]]開設を目的に接触していた<ref>{{cite news |title=相互依存の韓日関係 |publisher=東洋経済日報 |date=2009-06-12 |url=http://www.toyo-keizai.co.jp/news/opinion/2009/post_1919.php |accessdate=2016-09-27}}</ref><ref>[[河信基]]『証言「北」ビジネス裏外交--金正日と稲山嘉寛、小泉、金丸をつなぐもの』第5章175頁、講談社、2008年</ref>。朴正煕の暗殺で立ち消えとなった中韓のホットラインは2015年に娘の[[朴槿恵]]大統領が開設するまで実現されなかった<ref>{{cite news |title=韓中の国防部間にホットライン開通 北朝鮮対応で連携 |publisher=[[聯合ニュース]] |date=2015-12-31 |url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2015/12/31/0900000000AJP20151231001000882.HTML |accessdate=2016-09-27}}</ref>。
* [[蒋介石]]との世界反共連盟設立や[[文鮮明]]との国際勝共連合創設などの活動で日本の[[反共主義]]者の代表格や「[[右翼]]のドン」とされた[[笹川良一]]とは日中国交正常化から親交を結んだ<ref>{{cite news |title=「遠のく鄧小平時代」|publisher=日本財団会長笹川陽平ブログ |date=2009-01-23 |url=http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/1735 |accessdate=2016-10-18}}</ref>。
* [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]最高指導者の[[金日成]]は長年の付き合いから「親密な同志で戦友」と評価していたが<ref name=gomiyouji>[[五味洋治]]「中国は北朝鮮を止められるか: 中朝愛憎の60年を追う」第5章151-159頁 2010年6月 晩聲社 ISBN 978-4891883485</ref>、その後継者の[[金正日]]は後継者に公認されて初の外遊である[[19821983年]]96月の訪中から帰国した際に中国の改革開放を「社会主義や共産主義を捨てた」「修正主義」と批判したことで鄧小平は「なんて馬鹿な奴だ」「世間知らずの小童」と唾棄し、焦った金日成は謝罪を約束してそれを拒む金正日と口論になっている<ref>{{cite news |title=【秘録金正日(47)】中国の改革解放を「共産主義捨てた」と一蹴 トウ小平は「なんてばかなやつだ」と激怒|publisher=[[産経新聞]] |date=2015-10-23 |url=http://www.sankei.com/premium/news/151020/prm1510200004-n5.html|accessdate=2016-10-18}}</ref>。[[黄長燁]]によれば、金日成は中国式改革開放に肯定的であり<ref>久保田るり子『金正日を告発する 黄長燁が語る朝鮮半島の実相』162頁、2008年</ref>、金日成は生涯最後の外遊である[[1991年]]の中国訪問で鄧小平から改革開放を迫られて帰国後の会議で[[羅先特別市#国際貿易拠点として|羅津・先鋒経済貿易地帯]]の設置を決定するも<ref name=gomiyouji/>、その跡を継いだ金正日は計画経済に固執して[[苦難の行軍]]という大飢饉を起こして結局鄧小平死後の[[21世紀]]に入ってから17年ぶりに訪中して中国に経済支援を仰いだ。
* [[歴史認識]]では「日中二千年の歴史に比べれば両国間の不幸な時期など瞼の一瞬き(ひとまばたき)にすぎない」と日本の首脳に述べたという<ref>徐鵬「[http://cpc.people.com.cn/BIG5/64162/64172/85037/85038/6334385.html 鄧小平:從抗日主將到推動中日友好的歷史巨人]」『中国共産党新聞』(『[[人民網]]』)、2012年9月24日閲覧。</ref>。ただし、[[奥野誠亮]]大臣の発言や閣僚の[[靖国神社]]参拝については「日中友好を好ましいと思わない人がいる」と批判している。