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Yonmaime (会話 | 投稿記録)
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2ndシングル『[[叫び (野猿の曲)|叫び]]』で自身最高位の初登場2位を記録した。なお同曲のPVの撮影で訪れたアメリカで、舞い上がっていた高久がしっかりダンスを覚えていなかったため、石橋が激怒し脱退を言いつけた。最終的には高久の涙の謝罪で脱退は逃れる。実はとんねるずの2人以外には内緒の「ドッキリ」仕掛けであった。
 
『叫び』の手売り販売会などのプロモーション期間中は禁酒が言い渡されていたのにも関わらず、高久は無断で髪を金髪にして手売り販売会に酔った状態で出演し、アナウンサーやスタッフに迷惑をかけ、半田は飲酒して「ロンリー・チャップリン」を熱唱していたことが発覚。高久と半田は罰として坊主を言い渡されるも(酒の席に同席していた平山、星野には青唐辛子一本食いの刑が執行された)、半田は仕事の都合で拒否したため石橋が解散を宣言し一気に解散の危機となる。最終的に大原、網野、飯塚、星野が連帯責任で自ら坊主になっていく姿を見て、自分も坊主にし、計7人が坊主になったことで野猿は続行となった(なぜか木梨まで坊主になった)。
 
3rdシングル『SNOW BLIND』から表題曲のボーカルに成井が外され、4thシングル『Be cool!』以降は完全にダンサーチームとなった(ただしライブでそれ以前の曲を披露する場合はボーカルチームに加わる)。
 
『SNOW BLIND』では野猿ドラフト会議が開かれ、全国CDショップの店員がドラフト形式で野猿メンバーの1人を手売り即売会に引き抜いていき、売上最下位のメンバーは罰ゲームが用意された。結果抽選で木梨が最も田舎の秋田県男鹿市のCDショップに当たる。不安の中で向かったが実際には7500人が待機しており結果はダントツの1位であった(なお後年、同番組に[[佐々木希]]がゲスト出演した際、この男鹿の即売会に来ていたと語っている)。結果最下位は網野となり既に坊主にして間もなかった頭をまた丸坊主にする事になった。
 
=== 1999年 ===