「ロベルト・HP・プラッツ」の版間の差分

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==略歴==
[[1951年]]生まれ。[[ヴォルフガング・フォルトナー]]に入門。現在は[[マーストリヒト音楽院]]で教鞭をとり、[[ケルン]]に住む。
[[1951年]]生まれ。[[ヴォルフガング・フォルトナー]]に入門時、「君はとても基礎が出来るね、即様式模倣に取り掛かりなさい」と激励され、[[ウェーベルン]]の様式模倣を完成させたのが作曲家としての第一歩になった。その後[[カールハインツ・シュトックハウゼン|シュトックハウゼン]]に先生を替え、彼を含めたアシスタント全員でダンサーとオーケストラのための「祈り」の製作に取り掛かる。当時は現代音楽専門の指揮者がおらず、どのような雑用もこなしたことがきっかけで指揮にのめりこみ、ディプロマは指揮で取得してそのまま卒業した。ダルムシュタット講習会でも、シュトックハウゼン直伝の作曲技法は高評で迎えられ[[クラーニヒシュタイン音楽賞]]を獲得、後に講習会で重要な働きをしたピアノ奏者[[クリスティ・ベッカー]]と結婚。
 
1989年に突然「この曲(オーケストラと二台のピアノとソプラノのグレンツゲンゲ・シュタイン)を基点とした壮大なチクルスを完成させなければならない」という夢を視たことがきっかけで、複数の作品を鎖のように編みあわす「フォーム・ポリフォニー」という概念に到達する。前述の作品は、オーケストラ作品のなかに、「二台のピアノのためのシュタイン」が埋め込まれており、単独演奏も可能である。複数の作品の同時演奏は確かに1970年代に流行していたが、作品内のパラメータ関係を編み合わせる技法は彼の発案であり、日本の文化、例えば[[山水画]]からの影響があると彼は語る。
 
ドナウエッシンゲン音楽祭1996で演奏された「ANDERE RÄUME/nerv II/TURM WEITER/Echo II」は彼の創作の全決算として作曲され、この作品のために山を歩き回って採取した打楽器の木(それも実際に切断し、スリットドラムに加工したもの)から二つのオーケストラの同時演奏まで、彼の実力が最も素晴らしい形でコラージュされたと絶賛された。その後も、指揮と作曲両面で着実に業績を積み重ねている。指揮者としても、性格を反映してスタティックで淡白な振りが、多くの現代音楽作曲家から重宝されている。現在は[[マーストリヒト音楽院]]で教鞭をとり、[[ケルン]]に住む。
 
現在、[[リコルディ・ミュンヘン]]から1990年代以後の全作品が出版されている。それ以前には[[モデルン]]と[[ブライトコップフ]]からでていた。
 
==外部リンク==