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2018年2月18日 (日) 00:10時点における版
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幼いときから学問を好み、[[和帝 (漢)|和帝]]にも可愛がられていた。
和帝の没後、[[殤帝 (漢)|殤帝]]が迎えられ、和帝皇后の鄧氏(名は綏)が臨朝し、その
弟
兄
の[[車騎将軍]][[鄧騭]]と共に朝政を運営していたが、[[延平 (漢)|延平]]元年([[106年]])、殤帝がわずか2歳にして死去すると、13歳の安帝が擁立された。鄧氏の臨朝は継続し、鄧騭が朝政を運営した。
同年の9月には西域で反乱が勃発し、12月には実父の清河王が死去した。