「第四次中東戦争」の版間の差分

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=== 停戦(1973年10月18日 - 10月25日) ===
==== ゴラン高原方面 ====
[[קובץFile:מוצבIsraeli החרמוןTank 1973on Golan Heights - Flickr - The Central Intelligence Agency.JPGjpg|thumb|250pxright|ヘルモ220px|ゴラ山(高原を進むイスラエル側山頂)観測所。戦車]]
ダマスカス平原周辺では戦闘は小競り合い程度にとどまっていたが、21日夜、停戦決議を前にしてイスラエル軍によるヘルモン山の奪回作戦が再び行われた。シリア側山頂は容易に占領できたものの、イスラエル側山頂ではシリア空挺部隊の反撃が苛烈でイスラエル軍は多数の死傷者を出した。しかし22日の午前11時には山頂の観測所周辺が奪回された。23日、ダマスカス平原においてシリア軍とイラク軍、ヨルダン軍による攻勢が予定されていたものの、シリアが停戦決議(後述)を受託したために攻勢は中止され、戦闘は終結することとなった。
 
==== シナイ半島方面 ====
第162師団に続きスエズ運河を渡河した第143、第252師団の計3個師団は、運河東岸のエジプト第2軍・第3軍を包囲しようと[[イスマイリア]]・[[スエズ]]市に向けて進撃した。第143師団はイスマイリア郊外で進軍を停止、第162師団は運河西岸を確保、第252師団はカイロ―スエズ街道を封鎖し、エジプト第3軍を包囲、停戦交渉の「人質」とした。第三次中東戦争同様エジプトが再び決定的敗北を喫することを危惧したアメリカ・ソ連をはじめとする国連安全保障理事会(以下安保理)は停戦工作を推し進め、10月22日、停戦を求めた'''国連安保理決議第338号'''が決議され、同日18時52分より発効した。しかしイスラエル軍は作戦行動を続け、24日には162師団がスエズ市攻略を強行したが、守備部隊の抵抗にあって失敗した。25日には国連安保理決議340にしたがって