「ああ播磨灘」の版間の差分
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; 時津灘(ときつなだ)
: 声 - [[小野健一 (声優)|小野健一]]
; 前田亜希子▼
: 声 - [[折笠愛]]▼
: 自ら能面を被って深夜に雷光部屋を訪れ、播磨灘に嫁入りを志願。仮面のまま電撃的な婚約発表をした。九州場所後、正式に結婚する。美人でしっかり者の誉れ高き女性。婚約会見でも[[能面]]を着けていたため、後に'''「能面女」'''とあだ名されることになった。能面は記者会見のときに播磨灘に割られ、素顔をさらして以降は着用していない。結婚後は播磨と共に部屋に住みつき、台所も手伝う様子が見られた。十番勝負の開催期間中に播磨の子を身籠ったことが明らかになり、播磨から祝福を受けた。▼
; 北条(ほうじょう)▼
: 相撲一筋数十年のベテラン記者。その相撲愛から太刀風ら横綱や親方衆でも一定の敬意を払う存在である。当初から播磨のことを毛嫌いしていたもののそのあまりの存在感から始終張り付くようになった。
; 八田登(はった のぼる)▼
: [[暴力団]]九州玄界組組長。九州場所中に、ちょっとした[[交通事故]]で播磨灘と偶然出会う。この後の宴会の末に播磨灘に魅了され、以後すべてを捨てて播磨に尽くすようになる。その八田に対して播磨の方でも全幅の信頼を置いており、播磨が立ち上げ興行を行う際には看板の揮毫を任されている。
: 作者の別作品『[[なんと孫六]]』にも[[不良行為少年|不良]]高校生役として登場している。▼
; 兆二(ちょうじ)▼
: 玄界組[[若頭]]で八田の腹心。播磨と八田に振り回され、ブツクサ言いながらも、男と見込んだ両名に忠義を尽くす。▼
; 日向灘(ひゅうがなだ)
: 声 - [[高木渉]]
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; 大野
: 播磨の付け人。九州場所編で登場。背中を流すため一時間半も湯船につかったままの播磨をもう一人の付け人と共に風呂の中で立ったまま待ち続け、のぼせて倒れる。
▲; 前田亜希子
▲: 声 - [[折笠愛]]
▲: 自ら能面を被って深夜に雷光部屋を訪れ、播磨灘に嫁入りを志願。仮面のまま電撃的な婚約発表をした。九州場所後、正式に結婚する。美人でしっかり者の誉れ高き女性。婚約会見でも[[能面]]を着けていたため、後に'''「能面女」'''とあだ名されることになった。能面は記者会見のときに播磨灘に割られ、素顔をさらして以降は着用していない。結婚後は播磨と共に部屋に住みつき、台所も手伝う様子が見られた。十番勝負の開催期間中に播磨の子を身籠ったことが明らかになり、播磨から祝福を受けた。
; 淡口
: 元愛宕山部屋のちゃんこ長。九州場所前に竜雲と食べ比べした播磨が竜雲と勝負の賭けをして「負けたらよこせ」ということになり、竜雲が播磨に負けたためその日のうちに廃業届けを提出して、雷光部屋のちゃんこ番になった。
=== 相撲協会 / ライバル力士 ===
==== 親方衆 ====▼
; 愛宕山理事長(あたごやま)▼
: 声 - [[藤本譲]]▼
: 相撲協会理事長。角界の伝統と権威を冒す播磨灘を倒し、引退に追い込もうと執念を燃やすが、初場所編を最後に土俵荒廃の責任を取り、理事長職を辞任した。▼
: 相撲とは力と力のぶつかり合いである“強さ”を理念としている。また、播磨灘の横綱としての圧倒的な実力そのものは認めており、他の相撲部屋が拒絶した道場破りのような播磨灘の出稽古を受け入れたこともある。秋場所から播磨に対抗するあまり無理を働いて負傷休場する力士が増え始めたが「稽古が足らん」として対策を打たず、初場所でその問題が限界まで達したことで場所中に突如興行を11日制に変更することを決断するところまで追い込まれた。▼
: 初場所千秋楽、土俵上で「相撲協会解散」を宣言した播磨灘に、[[除名#日本相撲協会の除名|角界からの追放]]を言い渡すが、その後の理事会で能登ノ海から「もはや播磨灘抜きで相撲興行は成り立たない」と糾弾される。その翌日愛宕山は独断で播磨灘を都内の寺に呼び出し、その場での追放取り消しを申し出る。しかし播磨灘は寺の障子を全部開けさせ衆人環視の中で申し出を繰り返させた上で、「出直せ!」と[[張り手]]を食らわせ、これを一蹴する。その後は自らまわしを締めて弟子に胸を出す。一門の竜鵬に目をつけ北道山に鍛えさせるようお願いした。▼
: モデルは[[若乃花幹士 (初代)|初代若乃花]]の二子山理事長。▼
; 能登ノ海親方(のとのうみ)▼
: 能登ノ海一門を率いる角界有力者。初場所終了後に、愛宕山の理事長職を継ぐ。▼
: まず7月場所が横綱不在の状態で開催される恐れがあったことから2横綱を揃えて興行上・番付上の面子を揃える必要を感じた能登ノ海は場所前に太刀風の引退届慰留と北道山の横綱再昇進を検討したが両者ともこれを固辞した。▼
: そして播磨抜きで7月場所(国立で行われた十番勝負に対抗して、本来の[[名古屋]]ではなく播磨と同じ東京開催)を行うことにより、大相撲の格式、伝統、様式美を守ろうとした。しかも全幕内力士に「『播磨十番勝負』に参戦するようなことがあれば、無条件で相撲協会から追放する」と促すほどの念の入れよう。しかし、それでも播磨の元へ行く力士が後を絶たなかった。最後は追放宣言を白紙に戻し、理事長職を辞任。後任を太刀風に託した。▼
: 相撲とは技と技のぶつかり合いである“しのぎ”を理念としている。また、かなりの野心家。▼
: モデルは[[佐田の山晋松|元佐田の山]]の出羽海理事長。▼
; 五所ヶ嶽親方(ごしょがたけ)▼
: 雷光親方の兄弟子で五所ヶ嶽一門の総帥。播磨灘の弟弟子を預かって欲しいとの雷光の要求を跳ね除けた。▼
: モデルは[[琴桜傑将|元琴桜]]の佐渡ヶ嶽理事。▼
; 稲綱親方(いなづな)▼
: 大江川の師匠。「大江川が(播磨灘に)負けたら廃業」と宣言し、大江川が負けたために言葉通りに角界を去った。▼
; 山藤親方(やまふじ)▼
: 天山の師匠。元横綱だが稽古中の怪我のため横綱を張っていた時には一回しか優勝できないなど思うように活躍できず、史上最弱の横綱と揶揄されることもある。そのため、天山には二の轍を踏ませないように注意していた。▼
: 播磨灘の結婚式に弟子の天山と駆けつけ、天山を播磨灘に預けてほしいと頭を下げた。▼
: 7月場所では天山が十番勝負に向かおうとしたため力ずくでも阻止しようと竹の棒で天山を滅多打ちした。それでも天山の気持ちが変わらなかったため最終的には「行け!」と認めた。▼
; 真砂親方(まさご)▼
: 富嶽の師匠。打倒播磨のため必殺鯖折りの封印を解くように命じたが、富嶽は播磨灘に敗れる。▼
: 7月場所編では富嶽が播磨灘十番勝負に走り、阻止できなかったため能登ノ海に廃業届を提出するが却下された。▼
; 秩父親方(ちちぶ)▼
: 八幡の師匠で、秩父一門の総帥、現役時代の最高位は関脇。取組編成委員。協会では反主流派とされる。▼
; 羽後ノ海親方(うごのうみ)▼
: 三ツ岩の師匠。▼
==== 横綱 ====
; 太刀風貢(たちかぜ みつぐ)
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: 玉嵐の弟弟子。幕内最軽量で、トンボをきる(バック転)ほどの身軽さが売り。播磨灘の足を取って持ち上げたが、その足を大きく振られてトンボを切らされた上、落ち際に突っ張りを食らって吹っ飛ばされた。敗戦後玉嵐に叱責される。
: モデルは[[維新力浩司|維新力]]。
▲==== 親方衆 ====
▲; 愛宕山理事長(あたごやま)
▲: 声 - [[藤本譲]]
▲: 相撲協会理事長。角界の伝統と権威を冒す播磨灘を倒し、引退に追い込もうと執念を燃やすが、初場所編を最後に土俵荒廃の責任を取り、理事長職を辞任した。
▲: 相撲とは力と力のぶつかり合いである“強さ”を理念としている。また、播磨灘の横綱としての圧倒的な実力そのものは認めており、他の相撲部屋が拒絶した道場破りのような播磨灘の出稽古を受け入れたこともある。秋場所から播磨に対抗するあまり無理を働いて負傷休場する力士が増え始めたが「稽古が足らん」として対策を打たず、初場所でその問題が限界まで達したことで場所中に突如興行を11日制に変更することを決断するところまで追い込まれた。
▲: 初場所千秋楽、土俵上で「相撲協会解散」を宣言した播磨灘に、[[除名#日本相撲協会の除名|角界からの追放]]を言い渡すが、その後の理事会で能登ノ海から「もはや播磨灘抜きで相撲興行は成り立たない」と糾弾される。その翌日愛宕山は独断で播磨灘を都内の寺に呼び出し、その場での追放取り消しを申し出る。しかし播磨灘は寺の障子を全部開けさせ衆人環視の中で申し出を繰り返させた上で、「出直せ!」と[[張り手]]を食らわせ、これを一蹴する。その後は自らまわしを締めて弟子に胸を出す。一門の竜鵬に目をつけ北道山に鍛えさせるようお願いした。
▲: モデルは[[若乃花幹士 (初代)|初代若乃花]]の二子山理事長。
▲; 能登ノ海親方(のとのうみ)
▲: 能登ノ海一門を率いる角界有力者。初場所終了後に、愛宕山の理事長職を継ぐ。
▲: まず7月場所が横綱不在の状態で開催される恐れがあったことから2横綱を揃えて興行上・番付上の面子を揃える必要を感じた能登ノ海は場所前に太刀風の引退届慰留と北道山の横綱再昇進を検討したが両者ともこれを固辞した。
▲: そして播磨抜きで7月場所(国立で行われた十番勝負に対抗して、本来の[[名古屋]]ではなく播磨と同じ東京開催)を行うことにより、大相撲の格式、伝統、様式美を守ろうとした。しかも全幕内力士に「『播磨十番勝負』に参戦するようなことがあれば、無条件で相撲協会から追放する」と促すほどの念の入れよう。しかし、それでも播磨の元へ行く力士が後を絶たなかった。最後は追放宣言を白紙に戻し、理事長職を辞任。後任を太刀風に託した。
▲: 相撲とは技と技のぶつかり合いである“しのぎ”を理念としている。また、かなりの野心家。
▲: モデルは[[佐田の山晋松|元佐田の山]]の出羽海理事長。
▲; 五所ヶ嶽親方(ごしょがたけ)
▲: 雷光親方の兄弟子で五所ヶ嶽一門の総帥。播磨灘の弟弟子を預かって欲しいとの雷光の要求を跳ね除けた。
▲: モデルは[[琴桜傑将|元琴桜]]の佐渡ヶ嶽理事。
▲; 稲綱親方(いなづな)
▲: 大江川の師匠。「大江川が(播磨灘に)負けたら廃業」と宣言し、大江川が負けたために言葉通りに角界を去った。
▲; 山藤親方(やまふじ)
▲: 天山の師匠。元横綱だが稽古中の怪我のため横綱を張っていた時には一回しか優勝できないなど思うように活躍できず、史上最弱の横綱と揶揄されることもある。そのため、天山には二の轍を踏ませないように注意していた。
▲: 播磨灘の結婚式に弟子の天山と駆けつけ、天山を播磨灘に預けてほしいと頭を下げた。
▲: 7月場所では天山が十番勝負に向かおうとしたため力ずくでも阻止しようと竹の棒で天山を滅多打ちした。それでも天山の気持ちが変わらなかったため最終的には「行け!」と認めた。
▲; 真砂親方(まさご)
▲: 富嶽の師匠。打倒播磨のため必殺鯖折りの封印を解くように命じたが、富嶽は播磨灘に敗れる。
▲: 7月場所編では富嶽が播磨灘十番勝負に走り、阻止できなかったため能登ノ海に廃業届を提出するが却下された。
▲; 秩父親方(ちちぶ)
▲: 八幡の師匠で、秩父一門の総帥、現役時代の最高位は関脇。取組編成委員。協会では反主流派とされる。
▲; 羽後ノ海親方(うごのうみ)
▲: 三ツ岩の師匠。
=== その他 ===
▲; 北条(ほうじょう)
; 大河内(おおこうち)
: 横綱審議委員。数学者。[[横綱審議委員会]]ではただ一人の播磨灘の理解者。播磨灘が仮面をかぶって入場するなど横綱としてふさわしくない振舞いが目立ったため、本場所中にもかかわらず播磨灘を角界から追放する議題の委員会が開かれる予定であったが、大河内の急病により中止。そのまま亡くなり、通夜が執り行われその席では他の横綱は正装で弔問に訪れたのに対し、播磨灘はまわしにドロ着で現れた。
▲; 八田登(はった のぼる)
▲: 作者の別作品『[[なんと孫六]]』にも[[不良行為少年|不良]]高校生役として登場している。
; 小井戸烈破(こいど れっぱ)
: 播磨灘へ贈る化粧廻しの揮毫を仕上げるために八田が選んだ書道家であり、書道界からははみ出し者として嫌われている。人里離れた山奥で母と共に生活しており、八田が烈破と出会った時には母曰く「2年ほど思ったような書が書けず酒を飲んで過ごしていた」そうである。播磨の取組を生で見てから創作意欲が湧き上がり、揮毫を書きあげるも誤って播磨が踏みつけたことで台無しになったうえに、結果的に別の書が採用されたことでしばらく意気消沈していた。
▲; 兆二(ちょうじ)
▲: 玄界組[[若頭]]で八田の腹心。播磨と八田に振り回され、ブツクサ言いながらも、男と見込んだ両名に忠義を尽くす。
; ぬい
: 望坴楼の女将。
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