「1910年のメジャーリーグベースボール」の版間の差分

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[[ワールドシリーズ]]はフィラデルフィア・アスレチックスがシカゴ・カブスを4勝1敗で破り、シリーズを初制覇した。
== できごと ==
アメリカン・リーグが名将コニー・マックが率いる[[オークランド・アスレチックス|フィラデルフィア・アスレチックス]]が102勝をあげ、投手では23勝のジャック・クームズ、同じ23勝の[[チーフ・ベンダー]]の両エースが、打者では[[エディ・コリンズ]]、ベイカー、マーフィーが活躍してリーグ優勝を飾った。
 
一方ナショナル・リーグでは前年2位に終わった[[シカゴ・カブス]]が104勝をあげて復活を遂げ、ジョー・テインカー、ジョニー・エバース、フランク・チャンスの「併殺トリオ」の内野陣とソリー・ホフマン、[[フランク・シュルト]] の外野陣が活躍し、この年には、ホフマンとシュルトが打線の中心になった。投手陣は[[モーデカイ・ブラウン]] が健在でこの年も25勝を上げている。
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この年は終盤に首位打者争いが白熱して、球史に残る打率争いとなった。シーズン最終日の試合前、タイ・カッブが509打数196安打で[[打率]].385、ナップ・ラジョイは打率.376と9厘差であった。そして[[首位打者 (MLB)|首位打者]]を確信したカッブは最終日の試合を欠場し、ラジョイはセントルイス・ブラウンズ(現:[[ボルチモア・オリオールズ]])戦の[[ダブルヘッダー]]で9打数8安打を打って、最終成績は591打数227安打で打率.384となった。惜しくもラジョイの方が1厘差及ばず、カッブの首位打者が決まった。しかし、この最終戦でのラジョイの8安打について相手チームのブラウンズのオコーナー監督とハウエル・コーチがラジョイに首位打者を取らせるために、新人のコリデン三塁手をわざと後方に守らせてバントヒットを量産させたとして、オコーナーとハウエルは解雇されてやがて球界から永久追放の処分を受けた。しかも話はこれで終わらなかった。
 
1981年[[スポーティング・ニューズ社]]により1910年の打撃成績の集計に誤りが指摘され、タイ・カッブの成績が509打数196安打ではなく、506打数194安打で打率は.385から.383に修正され、シーズン打率は2位に後退した。しかし[[MLBコミッショナー|コミッショナー]]特別委員会はその後の八百長疑惑から監督とコーチが永久追放処分となった影響もあってか、首位打者の変更を認めず、ラジョイはシーズン打率1位でありながら首位打者を逃した選手となった。MLB公式記録でもカッブは509打数196安打で打率.385のままである。
 
現在、打率1位の記録を残した選手と首位打者を獲得した選手とが違うというケースは、1902年の[[エド・デラハンティ]]と[[ナップ・ラジョイ]]の例があるが、これはラジョイの規定試合出場数が足りないためで、この年の[[ナップ・ラジョイ]]と[[タイ・カッブ]]の例はどちらも規定出場試合数を超えており、問題があった。また打率1位でありながら規定打席数や規定出場試合数がたびたび基準変更されたため、今日の基準から見て首位打者の資格を有しないとして、1914年の[[タイ・カッブ]]、1926年の[[バブルス・ハーグレイブ]]、1940年のデブス・ガームズ、1942年の[[アーニー・ロンバルディ]]などについて異なった見解がある。
===セブン・イニング・ストレッチ===
 
この年の開幕戦に、当時のアメリカ大統領だった[[ウィリアム・タフト]]が来場し、始球式を行ない、試合が始まってからも大統領は観戦していた。しかし堅いイスにずっと座っていたので歴代大統領の中でも最大の巨漢(140キロ)と言われたタフト大統領は7回に入ってから、席から立ち上がり体を伸ばしていると、観客は大統領のお帰りと勘違いして席を立ち拍手を送った(今でいうスタンディングオペレーション)。この出来事が後になって、7回表に観客が席を立って背伸びをする習慣(7回の背伸び)となってセブン・イニング・ストレッチの始まりとする説がある。しかしさらに遡って1869年にシンシナティ・レッドストッキングスのハリー・ライト監督が友人へ送った手紙の中に「試合が7回になると観客は固いベンチに座り続けて疲れたため脚を伸ばし、楽しげに歩き回っている」と書いており、これが記録に残る最古のセブン・イニング・ストレッチとされている。
=== 規則の改訂 ===
* この年からコルク製の芯を持つボールが採用される。
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* 『米大リーグ 輝ける1世紀~その歴史とスター選手~』≪チーフ・ベンダー≫ 54P参照
* 『オールタイム 大リーグ名選手 101人』20-21P参照 「ウォルター・ジョンソン」1997年10月発行 日本スポーツ出版社  
* 『オールタイム 大リーグ名選手 101人』100-101P参照 「ナポレオン・ラジョイ」 
* 『野球は言葉のスポーツ』 164P参照 伊東一雄・馬立勝 共著 1991年4月発行  中公新書 
== 外部リンク ==
* [http://www.baseball-reference.com/ Baseball-Reference.com]