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獄門の刑罰を科される犯罪は、[[強盗殺人]]、主人の親類の殺害、地主や家主の殺害、偽の[[秤]]や[[枡]]の製造などであった。
 
[[明治]]時代に至っても初期には梟示(きょうじ)と名を改めて引き続き行われていた。[[1871]]、明治政府を激しく批判していた旧米沢藩士[[雲井龍雄]]や、[[1874年]]、[[佐賀の乱]]の首謀者の一人である前[[参議]]兼[[司法卿]]の[[江藤新平]]への処刑が有名である。[[1879年]]の明治12年[[太政官布告]]第1号により廃止された。なお、斬首は[[1882年]][[1月1日]]に施行された[[刑法 (日本)#旧刑法|旧刑法]]により廃止されるまで残る(梟首を伴わない斬首が最後に行われたのは[[1881年]])。
 
== 「梟首」の由来 ==