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[[章武]]2年([[222年]])、[[夷陵の戦い]]で劉備が大敗した際、諸葛亮は「法正どのが生きていれば、陛下(劉備)の東征を止められたはずだ。仮に止められなくとも、今回のような大敗はしなかっただろう」<ref>原文は「法孝直若在、則能主上制、令不東行。就復東行、必不傾危矣」</ref>と嘆いている。
 
==逸話==
劉備が曹操と争っていた際のこと、軍が前進を躊躇し、後退すべきであった。劉備は大いに怒って後退を許さなかった。劉備の周りまで矢が雨のように降り注ぎ危険であったが、群臣にあえて諌めるものはいなかった。そこで法正が劉備の前に立つと、劉備は法正に矢を避けるようにと命じた。「名公(劉備)が矢や石の飛び交う中におられるのに、どうして私ごときが避けられましょうか」と法正が答えると、劉備はやっと法正とともに共に後退した。<ref>蜀書法正伝注</ref>
 
==評価==