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'''ノーマン・イングランド'''('''Norman England''', [[1959年]][[4月24日]] - )は、[[日本映画]]のライター{{要出典|date=2017年6月}}、俳優、監督。[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]]出身
その後は近年の日本のホラーについて取材している。
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1978年〜1991年、ニューヨークで活動していたロックバンド「Proper iD」で音楽活動をする。当時のバンドメイトLach and Geoff Notkinは後にScience Channelのリアリティ番組『Meteorite Men』に出演した。
1998年、カプコン『[[バイオハザード2]]』のテレビCM([[ジョージ・A・ロメロ]]監督)撮影現場を1週間取材する。
1999年、ファンゴリアの日本記者となる。欧米の大手メディアでは初めて日本のホラー映画のニューウェーブについて書く。
▲1998年、カプコン『[[バイオハザード2]]』のテレビCM([[ジョージ・A・ロメロ]]監督)撮影現場を1週間取材する。そのとき知り合ったAnthony Ferrantiの紹介で雑誌「ファンゴリア」の編集者と知り合う。{{要出典|date=2017年6月}}
▲1999年、ファンゴリアの日本記者となる。欧米の大手メディアでは初めて日本のホラー映画のニューウェーブについて書く。『[[月刊ホビージャパン]]』、『Japanzine』、『[[スターログ]]』、『Flix』、『Japanese Giants』、『[[ジャパンタイムズ]]』にも寄稿。{{要出典|date=2017年6月}}
日本在住という利点を活かし、様々な映画の撮影現場を取材、レポーターという枠を超えて作品にコミットしていった。{{要出典|date=2017年6月}}
1999〜2004年、ゴジラミレニアムシリーズのセットで100日以上を過ごす。{{要出典|date=2017年6月}}特に、2001年の4月から10月にわたり『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)のセットを頻繁に訪れる。{{要出典|date=2017年6月}}そこで、撮影中のゴジラスーツを着た唯一の外国人となった。
監督西村喜廣に『吸血少女対少女フランケン』の字幕制作を依頼されたのをきっかけに字幕制作を開始、それ以降金子修介、井口昇、中田秀夫、坂口拓、堤幸彦などの監督作品の字幕を担当した。{{要出典|date=2017年6月}}
2012年、雑誌「映画秘宝」でコラム「Grindhouse USA」を連載する。
== 監督として ==
2007年、ドキュメンタリー映画『Bringing Godzilla Down to Size: The Art of Japanese Special Effects for Classic Media』の監督を依頼される。このドキュメンタリーは2008年8月、グローマンズ・エジプシャン・シアターで世界に先駆けて公開された。後に、DVDセット『Rodan and War of the Gargantuas』の特典映像として2008年9月にリリースされた。
2008年、2作目『Feed Me』を撮影する。
2009年、短編『It's All Good』を監督する。
== 作品 ==
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