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{{出典の明記|date=2009年6月24日 (水) 14:17 (UTC)}}
[[1981年]](昭和56年)に[[番匠保存会]]が設立され、現在も京都、奈良において番匠(位の高い大工)による秘儀、建築祭礼の秘伝の伝承、継承は続いており、現在でも[[春日大社]]、[[興福寺]]などの造営では、番匠棟上槌打という建築祭礼、建築儀式が行われている。朝廷や幾内を中心とする社寺に属した技術者が陰陽道の知識を深く保持し、特に法隆寺や四天王寺などに属した大工は、流派を形成し、その技術と知識は秘伝として口伝にて継承していたと建築史学者[[内藤昌]]が文献に記載している。陰陽道として、[[神道]]、[[仏道]]、[[道教]]と深く関わっており、建築儀礼、及び祭祀において、建物やその住まい手の繁栄を祈願する儀式、[[祭祀]]がおこなわれてきた。
{{otheruses|儀式の「'''祭り'''」|『お祭』の通称で知られる[[清元]]の曲目や[[歌舞伎舞踊]]の演目|再茲歌舞伎花轢}}
{{redirectlist|まつり'''」、「'''日本の祭り|[[北島三郎]]の曲|まつり (北島三郎の曲)|'''マツリ'''の別名を持つ植物|ジャスミン|テレビの特別番組|ダイドードリンコスペシャル 日本の祭り}}
 
'''祭'''(まつり)とは、感謝や[[祈り]]、[[慰霊]]のために[[神仏]]および[[祖先]]をまつる行為([[儀式]])である。[[供物]]そのほかが捧げせxせxsexsexsexsexsexsexsexsexsexsexsexsexsexsexsexsex== 概要 ==
[[ファイル:Gion Matsuri 2017-5.jpg|thumb|230px|[[八坂神社]]の[[祇園祭]] 前祭山鉾 御池通巡行/2017年7月17日撮影。]]
 
{{神道}}
=== 原初的形態 ===
祭祀・祭礼の形は、世界各地で多様な形を示す。そして、原初の祭は、一つの[[信仰]]に基づいていたと考えられる。すなわち、'''[[豊穣]]への感謝・祈り'''であり、[[ジェームズ・フレイザー]]の『[[金枝篇]]』では、生命の[[死と再生の神|死・再生]]を通して考察された。[[農耕社会]]においては、[[収穫祭]]が古いものであるが、その他にも[[祭壇]]に動物の[[生贄]]を捧げる形式があり、ともに命によって豊穣を得られる信仰が窺える<ref group="*">[[ハイヌヴェレ型神話]]なども参照のこと。</ref>。『金枝篇』に載せられている例でいえば、ヨーロッパのキリスト教以前の色を濃く留めている[[風習]]の一つで、収穫した穀物を使い[[人形]]状のパンまたはクッキー(人体の象徴)を作り、分割する祭礼があり、[[聖餐]]との類似が指摘できる。[[キリスト教]]・[[仏教]]などの[[世界宗教]]にも祭礼がみられるが、[[教義]]より[[儀式]]・[[慣習]]によるところが大きい点で、祭の要素は、本質的に民族宗教に顕著であるともいえる。狩猟民族でも、獲物を捧げ豊猟を祈願する儀礼がみられる([[熊送り]]など)。
 
また、先にも述べたが、キリスト教の[[復活祭]]や[[ボロブドゥール遺跡]]で行われている[[ワイシャック]]のように、キリスト教・仏教などの世界宗教に基づく祭りもある。一方、[[アングロ・サクソン人#アングロ・サクソン諸国|アングロ・サクソン諸国]]の[[ハロウィーン]]などのように、世界宗教以前の信仰に基づくものや世界宗教が伝来した各地で[[習合]]した形で伝わっている事例もある。
 
=== 日本語の「まつり」の語源と原義 ===
「まつり」という言葉は「祀る」の名詞形で、本来は神を祀ること、またはその儀式を指すものである。この意味では、個人がそういった儀式に参加することも「まつり」であり、現在でも地鎮祭、祈願祭などの祭がそれにあたる。日本は古代において、祭祀を司る者と政治を司る者が一致した祭政一致の体制であったため、政治のことを政(まつりごと)とも呼ぶ。また、祭祀の際には、神霊に対して供物や行為等、様々なものが奉げられ、儀式が行われる。その規模が大きく、地域を挙げて行われているような行事の全体を指して「祭」と呼ぶこともある。しかし宗教への関心の薄れなどから、祭祀に伴う賑やかな行事の方のみについて「祭」と認識される場合もあり、元から祭祀と関係なく行われる賑やかな催事、イベントについて「祭」と称されることもある。
 
「まつり」や「まつる」という[[古語]]が先であり、その後、[[漢字]]の流入により「祭り」・「奉り」・「祀り」・「政り」・「纏り」などの文字が充てられた。現在は「祭りと祀り」が同義で「祀りと奉り」が同義ともいわれるが、漢字の由来とともに意味も分かれているので下記に記す。
 
「'''祀り'''」は、[[神]]・[[尊]](みこと)に祈ること、またはその儀式を指すものである。これは祀りが、祈りに通じることから[[神職]]やそれに順ずる者([[福男]]・[[福娘]]や[[弓矢|弓矢の神事]]の矢取り)などが行う「[[祈祷]]」や「神との交信の結果としての[[占い]]」などであり、いわゆる「[[神社神道]]」の本質としての祀りでもある。この祀りは[[神楽]](かぐら)などの[[巫女]]の[[舞]]や[[太神楽]]などの[[曲芸]]や[[獅子舞]]などであり、広く親しまれるものとして[[恵比寿講]]などがある。その起源は[[古神道]]などの日本の民間信仰にもあり、古くは神和ぎ([[かんなぎ]])といい「そこに宿る[[魂]]や[[命]]が、'''荒ぶる神'''にならぬよう」にと祈ることであり、それらが、[[道祖神]]や[[地蔵]]や[[祠]]や[[塚]]や[[供養塔]]としての[[建立]]や、手を合わせ日々の感謝を祈ることであり、また神社神道の[[神社]]にて祈願祈念することも同様である。
 
「'''祭り'''」は[[命]]・[[魂]]・[[霊]]・[[御霊]](みたま)を慰めるもの(慰霊)である。「祭」は、[[漢字]]の本来の意味において[[葬儀]]のこと{{要出典|date=2015年8月}}であり、現在の[[日本]]と[[中国]]では祭りは正反対の意味と捉えられているが、慰霊という点に着眼すれば本質的な部分では同じ意味でもある。[[古神道]]の本質の一つでもある[[先祖崇拝]]が、[[仏教]]と習合([[神仏習合]])して現在に伝わるものとして、[[お盆]](純粋な仏教行事としては[[釈迦]]を奉る[[盂蘭盆]]があり、同時期におこなわれる)があり、辞書の説明では先祖崇拝の祭りと記載されている。[[捕鯨文化|鯨祭り]]といわれる祭りが、日本各地の津々浦々で行われているが、それらは、鯨突き([[捕鯨]])によって命を落とした[[クジラ]]を慰霊するための祭りである。
 
「'''奉り'''」は、奉る(たてまつる)とも読み。献上や召し上げる・上に見るなどの意味もあり、一般的な捉え方として、[[日本神話]]の人格神(人の肖像と人と同じような心を持つ日本創世の神々)や[[朝廷]]や[[公家]]に対する行為をさし、これは、神社神道の賽神の多くが人格神でもあるが、[[皇室神道]]に本質がある「[[尊]](みこと)」に対する謙譲の精神を内包した「まつり」である。その起源は、自然崇拝である[[古神道]]にまで遡り、日本神話の[[海幸彦と山幸彦]]にあるように[[釣針]](古くは[[銛]]も釣針も一つの概念であった)や[[弓矢]]は、[[幸]](さち)といい神に[[供物]](海の幸山の幸)を「奉げる」神聖な[[漁り]](いさり)・[[狩り]](かり)の[[得物]](えもの・[[道具]]や神聖な[[武器]])であった。古くから[[漁師]]や[[猟師]]は、[[獲物]](えもの)を獲る(える)と神々の取り分として、[[大地]]や[[海]]にその[[収穫]]の一部を還した。このような行いは、漁師や猟師だけに限らず、その他の[[農林水産]]に係わる[[生業]](なりわい)から、現在の[[醸造]]や[[酒造]]など職業としての神事や、各地域の「おまつり」にもあり、[[地鎮祭]]や[[上棟式]]でも[[御神酒]](おみき)や[[御米]](おこめ)が大地に還される。
 
「'''政り'''」については、日本は[[古代]]からの[[信仰]]や社会である、いわゆる古神道おいて、祭祀を司る者(まつり)と[[政治]]を司る者(まつり)は、同じ意味であり、この二つの「まつり」が一致した[[祭政一致]]といわれるものであったため、政治のことを政(まつりごと)とも呼んだ。古くは[[卑弥呼]]なども祭礼を司る巫女や[[祈祷師]]であり、祈祷や占いによって執政したといわれ、平安時代には神職が[[道教]]の[[陰陽五行思想]]を取り込み[[陰陽道]]と[[陰陽師]]という思想と役職を得て[[官僚]]として大きな勢力を持ち[[執政]]した。またこうした政と祭りに一致は[[中央政府]]に限らず、地方や[[町]]や[[集落]]でも、その年の[[吉凶]]を占う祭りや、[[普請]]としての祭りが行われ、「[[自治]]としての政」に対し資金調達や、吉凶の結果による[[社会基盤]]の実施の時期の決定や執政の指針とした。
 
なお、日本の祭について[[英語]]で紹介する場合、「[[フェスティバル]]」・「リチュアル」・「[[セレモニー]]」がそれぞれ内容に応じて[[訳語]]として用いられる。
 
=== 祭祀と祭礼 ===
祭祀と祭礼に厳密な区分はない。便宜的な区分である。のもの
 
「まつり」は、超自然的存在への様式化された行為である。祈願、感謝、謝罪、崇敬、帰依、服従の意思を伝え、意義を確認するために行われた(祭祀の段階)。祭祀は定期的に行われるとは限らないが、年中行事や通過儀礼と関連して定期的に行われるものが多い。このことによって、「まつり」は、日常生活のサイクルと深く結びつき、[[民俗学]]でいう「[[ハレとケ]]」のサイクルのなかの「ハレ(非日常性)」の空間・時間を象徴するものとなった。社会的に見れば、共同体全体によって行われ、共同体統合の儀礼として機能した(祭礼の第一段階)。共同体が崩壊し、都市が出現すると、都市民の統合の儀礼としての機能を強め、宗教的意味は建前となり、山車の曳行や芸能の披露といった娯楽性が追求されるようになった。「まつり」を行う者と、「まつり」を鑑賞する者の分化が生じた(祭礼の第二段階)。大衆統合としての機能と娯楽性のさらなる追求の結果、元来の宗教的意味は、忘却され、あるいは機能を喪失し、世俗的な催事としての「まつり」が登場した。
 
例えば[[大相撲]]も本来は神道としての奉納の祭りであり、神事でもあるが、宗教への関心の薄れなどから、大相撲のように「神事や祭礼としての祭りである」ことが忘れられたり、祭祀に伴う賑やかな行事の方のみについて「祭」と認識される場合もあり、元から祭祀と関係なく行われる賑やかな[[イベント]]について「祭」と呼ばれることもある。規模が大きく、地域を挙げて行われているような行事の全体を指して「祭」と呼ぶこともある。
 
=== 建築祭礼 ===
[[1981年]](昭和56年)に[[番匠保存会]]が設立され、現在も京都、奈良において番匠(位の高い大工)による秘儀、建築祭礼の秘伝の伝承、継承は続いており、現在でも[[春日大社]]、[[興福寺]]などの造営では、番匠棟上槌打という建築祭礼、建築儀式が行われている。朝廷や幾内を中心とする社寺に属した技術者が陰陽道の知識を深く保持し、特に法隆寺や四天王寺などに属した大工は、流派を形成し、その技術と知識は秘伝として口伝にて継承していたと建築史学者[[内藤昌]]が文献に記載している。陰陽道として、[[神道]]、[[仏道]]、[[道教]]と深く関わっており、建築儀礼、及び祭祀において、建物やその住まい手の繁栄を祈願する儀式、[[祭祀]]がおこなわれてきた。
 
== 祭祀 ==