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Tribot (会話 | 投稿記録)
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4歳の時に、母親に読み聞かせてもらった[[宮尾しげを]]の『[[西遊記]]』や[[田河水泡]]の『[[のらくろ]]』で漫画に接し、以来無類の漫画好きになる。特に[[手塚治虫]]の『流線型事件』『メトロポリス』に強い影響を受け、手塚が連載する漫画雑誌を買うために杉皮背負いのアルバイトで小遣いを稼ぐほどであった。また漫画を読む一方で自ら描く事にも興味を持ち、手持ちの漫画の模写をするようになり、手塚に手紙を出して、予想外の返事を受けて感激した<ref name="yaguchi">『ボクの手塚治虫』([[講談社文庫]])より。</ref>。
 
中学生時代に[[生徒会]]長を務め、[[秋田県立増田高等学校]]を卒業後、地元の[[羽後銀行]](現在の[[北都銀行]])に入行、その縁から合併直前の時期には[[釣りキチ三平]]が同行のキャラクターとなっていた。当初は銀行員としての仕事をこなすので精一杯であったが、ある日、同僚が読んでいた『ガロ』に強い影響を受け、再び漫画を描き始める。1966年頃から漫画誌の編集部へ自作品の投稿を繰り返すが、よい返事はなかった。[[1968年]]の夏期休暇で上京し、『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』の編集部へ落選した原稿を改めて持ち込み批評を頼むと、編集長である[[長井勝一]]から「絵がヘタである」と否定的な評価を得る。この時[[水木しげる]]の職場に案内されるが、水木は矢口の漫画を高く評価、[[池上遼一]]、[[つげ義春]]ら水木プロの面々からも様々なアドバイスを受ける。
 
[[1969年]]、『ガロ』で入賞作の『長持唄考』<ref>少年サンデーコミックス版「かつみ」3巻では『長持唄裁判』と改題されて収録</ref>が掲載され、アマチュア作家として本名でデビュー。
 
読み切り作品を数作掲載の後1970年に銀行を退職し、妻と娘2人を郷里に残して単身上京この際妻からは反対はなく、むしろ「早速東京に引っ越しね」と言われたという<ref name=gnavi />。『ガロ』の原稿料だけでは生活できず、長井に紹介された『[[週刊少年サンデー]]』で読み切り作品『鮎』が採用されメジャー誌デビューとなる。同年、[[梶原一騎]]原作の『おとこ道』を同誌で連載開始。当時30歳と漫画家としては遅めのスタートだったが、自身の趣味である[[釣り]]の経験を基にした『釣りキチ三平』(昭和版)を[[週刊少年マガジン]]で連載開始すると「釣り」ブームが巻き起こり、一躍人気作家となった。
 
同作の完結後は、野生生物や自然を題材とした中編作品の連載と並行して、自身の半生を年代順に[[自叙伝]]形式で描いた「オーイ!!やまびこ」「蛍雪時代」「9で割れ!!」の連載や、[[随筆|エッセイ]]「ボクの学校は山と川」「ボクの先生は山と川」の執筆・発売を行った。1989年に敬愛する手塚治虫が逝去すると、大いに悲嘆した<ref name="yaguchi"/>。1995年には出身地の増田町で画業の功績を称えられ町営(現:横手市営)の「増田まんが美術館」が開館し名誉館長に就任。2003年には[[石ノ森章太郎]]と生前交わした約束から[[石ノ森萬画館]]の館長(2代目)を歴任。
 
2001年から『釣りキチ三平 平成版』を連載していたが気力、体力の限界から筆を置き未完となっている<ref>産経新聞[http://www.sankei.com/smp/life/news/171225/lif1712250033-s1.html 漫画家・矢口高雄(1)40年ぶりに「マタギ」問う]</ref>。また、2003年4月からは自身の公式ホームページ上で、身の回りの出来事をエッセイ風に綴る[[日記]]([[ブログ]])「矢口高雄の独り言」を掲載している。
 
== 人物 ==
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* 幻の怪蛇バチヘビ(1973年 [[週刊少年マガジン]])
* おらが村(1973年-1975年 週刊少年マガジン)
** 新おらが村(1988年-1990年 地上([[家の光協会]]))
* [[釣りキチ三平]](1973年-1983年 週刊少年マガジン)
** [[釣りキチ三平#平成版|釣りキチ三平 平成版]](2001年-、矢口作品のみを掲載したプライベートコミック雑誌『平成版 釣りキチ三平』(名目上 [[週刊少年マガジン増刊号]]扱い)で連載後、[[KCデラックス]]から単行本化される。)
* マタギ(1975年-1976年 週刊漫画アクション)
* かつみ(1976年-1977年 週刊少年サンデー)
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* 劇的十二支考(1983年-1984年 [[週刊モーニング|コミックモーニング]])
* ふるさと(1983年-1985年 週刊漫画アクション)
* オーイ!!やまびこ(1988年-1990年 [[毎日中学生新聞]]、[[毎日新聞社]]から単行本化・[[講談社文庫]])※() - 漫画家デビュー前の経緯を描いた「昭和三部作」の一つ。子供時代を描いた自伝的な作品
* [[激濤 Magnitude 7.7]](1989年-1990年 [[ビッグコミック]])
* 蛍雪時代(1993年-1995年 [[しんぶん赤旗]]日曜版、講談社から単行本・講談社文庫化)※() - 漫画家デビュー前の経緯を描いた「昭和三部作」の一つ。中学校時代を描いた自伝的な作品
* 9で割れ!(1993年-1995年 [[小説中公]],2008-2009年に未完部分を[[週刊少年マガジン増刊号|平成版 釣りキチ三平]]で書き下ろし連載し完結。[[講談社文庫]]版で纏められた。)※() - 漫画家デビュー前の経緯を描いた「昭和三部作」の一つ。銀行員時代を描いた自伝的な作品
* 野生伝説(1995年-1998年 [[ビッグコミックゴールド]](小学館))
* LOVE FISH三平クラブ(1998年-1999年 [[コミックアルファ]]([[メディアファクトリー]]))
* [[バスボーイQ]](1999年-2002年 [[Crazy Bass]]([[双葉社]]から刊行されていた[[バスフィッシング]]雑誌))
* [[釣りキチ三平#平成版|釣りキチ三平 平成版]](2001年-、矢口作品のみを掲載したプライベートコミック雑誌『平成版 釣りキチ三平』(名目上 [[週刊少年マガジン増刊号]]扱い)で連載後、[[KCデラックス]]から単行本化される。)
* トキ(1976年[[笠倉出版社]]刊、2011年3月に[[復刊ドットコム]]から単行本として復刊)
 
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== 関連項目 ==
* [[日本の漫画家一覧]]
* [[北都銀行]] - 前身の羽後銀行に勤務していた時期があり、合併直前の時期には[[釣りキチ三平]]が同行のキャラクターとなっていた。
* [[行列のできる法律相談所#有名人100枚の絵でつなぐ カンボジア学校建設プロジェクト| 有名人100枚の絵でつなぐ カンボジア学校建設プロジェクト]]
* [[クニマス]]
* [[横手市増田まんが美術館]]
 
== アシスタント ==
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== 外部リンク ==
* [http://www.sampei33.jp/ 矢口高雄公式サイト]
* [http://www.sankei.com/life/news/171225/lif1712250033-n1.html 「漫画家・矢口高雄(1)40年ぶりに「マタギ」問う」] ※ - 産経新聞インタビュー記事【話の肖像画】(2017年12月26日)。
* [http://www.sankei.com/life/news/171226/lif1712260010-n1.html 「漫画家・矢口高雄(2)村で初めて高校進学、銀行員に」] ※ - 産経新聞インタビュー記事【話の肖像画】(2017年12月27日)。
 
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