「矢立肇」の版間の差分

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== 山浦栄二説 ==
1980年代前半頃までは矢立肇は複数の人物によるペンネームではなく、'''企画部長'''だった山浦栄二個人だと認識されていたとの関係者の証言が存在する。サンライズで[[ロボットアニメ]]を手がけたアニメ監督の[[長浜忠夫]]が[[1980年]]に出版した書籍で「彼は最近矢立肇の名を使ってる様子」と山浦のことを記している<ref>[[岩佐陽一]]編『長浜忠夫ロマンロボットアニメの世界 コン・バトラーV ボルテスV ダイモス ダルタニアス大全』[[双葉社]]、2003年、p.248</ref>。[[富野由悠季]]が『[[伝説巨神イデオン]]』製作中に『[[アニメージュ]]』に連載した『「イデオン」ライナー・ノート』で登場する矢立肇は'''矢立部長'''である<ref>『アニメージュ』1981年2月号、p.147</ref>。高橋良輔監督は、矢立について山浦の印象が強いとし、自分の文章に矢立を登場させた際、そのイラストを山浦のイメージで描いたと語っている<ref>[http://www.yatate.net/kiji-kikaku/taidan-takahashi.html 高橋良輔監督×河口佳高編集長スペシャル対談] 2017年6月3日 サンライズ運営[http://www.yatate.net/ 矢立文庫]内 2017年8月14日閲覧</ref>。
 
『[[アニメック]]』1986年6月号の矢立についての質問が寄せられた「アニメ雑学大事典」コーナーでは「矢立部長は企画原案といっても企画書をテレビ局やスポンサーに通すまでがメインの仕事」と、山浦の名は出していないものの、(企画)部長が矢立だと説明する回答を行っている<ref>「アニメ雑学大事典 第22回」『アニメック』1986年6月号、p.131</ref>。『アニメック』編集長だった[[小牧雅伸]]が[[2009年]]に出した回顧録では「山浦部長=矢立部長という図式が、私の頭の中にはある」との記述がある<ref>小牧雅伸『アニメックの頃…』[[NTT出版]]、2009年、p.151</ref>。