「ドイツ革命」の版間の差分

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ドイツ革命により帝政が打倒され、共和国が樹立されたが、ドイツを世界大戦に導き、軍国主義を積極的に支えてきた帝国時代の支配層である軍部、独占資本家、[[ユンカー]]などは温存された。彼らの後援による極右勢力、右翼軍人らの共和国転覆の陰謀、[[クーデター]]の試みは右から共和国と政府を揺さぶり、一方、極左党派は左から社会民主党の「[[社会主義]]と労働者への裏切り」を激しく攻撃した。これら左右からの攻撃がヴァイマル共和国の政治的不安定さの一因となった。
 
左翼革命に反発した右派は、いわゆる[[匕首伝説]]を流布させていった。[[パウル・フォン・ヒンデンブルク]]やルーデンドルフが言明し、[[ヒトラー]]をはじめとする[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ党]]などは、第一次世界大戦で依然として戦争遂行の余力があったドイツを、国内の社会主義者、共産主義者、ユダヤ人とそれに支持された政府が裏切り、「勝手に」降伏した、もしくは「[[背後の一突き]]」を加えたことによりドイツを敗北へと導いたとするデマゴギーが生まれ、[[反ユダヤ主義]]が高まっていった<ref name="p-416-434">[[#ポリアコフ4|ポリアコフ4]],pp.416-434.</ref><ref name="d3-138-9">[[#ドイツ史 3|ドイツ史 3]],pp.138-9.</ref>。また、人民委員政府のエーベルトもベルリンの帰還兵を前に「いかなる敵も諸君を打ち破れなかった」としてドイツ軍不敗の神話を演説し、匕首伝説の拡大を支えた<ref name="d3-138-9"/>。このほか、新しいドイツ・ナショナリズムとしての「[[保守革命]]」なども展開した。ヒトラーはドイツ11月革命を「国家と民族への犯罪」として演説で繰り返し、レーテ共和国を持ち出すことは「背後からの一突き」や国際ユダヤ人陰謀論に説得力を持せることとなった<ref name="K-I-136-150"/>
 
ミュンヘンではレーテ共和国革命とそれに続く内戦は、ソ連等外国の共産党勢力に押しつけられた「[[恐怖政治|恐怖支配]]」として住民の記憶に残った<ref name="K-I-136-150">[[#カーショー上|カーショー上巻]],p.136-150.</ref>。さらにドイツ全土でも、バイエルン革命はロシアの[[ボリシェヴィキ]]とユダヤ人がドイツを乗っ取るという見方が広まり、中産階級向けの新聞ミュンヒナー・ノイエステ・ナハリヒテン紙は「ロシア・ボリシェヴィズム工作員」である共産党が「罪のない人々を虐殺した」とし、これは「人道と正義の法に対する罪」であると報じた<ref name="K-I-136-150"/>。[[反共主義|共産主義への恐怖]]は保守的な中産階級と農村部に浸透し、ドイツの人民の間で急進右翼が支持されるようになり、これ以降、バイエルンは反革命の巣窟となった<ref name="K-I-136-150"/>。レーテ共和国崩壊後、40万の兵士を擁するバイエルン住民防衛軍が編成された<ref>[[#カーショー上|カーショー上巻]],p.196-7.</ref>。
 
== 脚注 ==