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2017年8月2日 (水) 01:35時点における版
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Leonidjp
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2018年2月27日 (火) 16:39時点における版
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→日本人と「無常」
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14行目:
== 日本人と「無常」 ==
「祇園精舎の鐘の声」で始まる軍記物語『[[平家物語]]』、[[西行]]の「
桜
願はくは花
の下にて春死なん その如月の望月の頃」に代表される散りゆく桜と人生の儚さ、[[吉田兼好]]の随筆『[[徒然草]]』、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」で始まる[[鴨長明]]の『[[方丈記]]』など、仏教的無常観を抜きに日本の中世文学を語ることはできない。単に「花」と言えば[[サクラ]]のことであり、今なお日本人が桜を愛してやまないのは、そこに常なき様、すなわち無常を感じるからとされる。「永遠なるもの」を追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向を根強く持っているとされる。「無常」「無常観」は、中世以来長い間培ってきた日本人の美意識の特徴の一つと言ってよかろう。
== 脚注 ==