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明治期には、井上馨(号は世外、1835 - 1915)や益田孝(号は鈍翁、1848 - 1938)など官財界の富豪に茶の湯を趣味とする数寄者が多く、特に東京では、財界の数寄者による茶器の収集が盛んとなり、貴重なコレクション(後の根津美術館や五島美術館などの収集茶器類)が構築された。また、裏千家などの既成流派も、東京での流儀の普及につとめた。茶碗と「小倉山」と記された茶杓筒の絵あり。|清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「茶の湯、茶器の流行」より抜粋<ref name="tokyomeibutsu-hyakunin">清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「茶の湯、茶器の流行」国立国会図書館蔵書、2018年2月10日閲覧</ref>}}
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
==関連項目==
{{Wikiquote|茶道}}