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|casualties2=計336,000–434,000(内死者 100,000)
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'''ヴェルダンの戦い'''(battle(Battle of verdun)Verdun)は、[[第一次世界大戦]]の[[西部戦線 (第一次世界大戦)|西部戦線]]下、[[フランス共和国]]内の[[ヴェルダン]]を舞台に繰り広げられた[[ドイツ軍]]と[[フランス軍]]の戦いである。第一次世界大戦における主要な戦いの一つで、[[1916年]][[2月21日]]に始まり、両軍合わせて700,000人以上の死傷者を出した。
 
[[ドイツ帝国]]は膠着した戦況を挽回すべく、参謀総長[[エーリッヒ・フォン・ファルケンハイン]]の発案により、目標を[[パリ]]へと続く街道にある[[ヴェルダン]]に定めた。ここで大量の損害を[[フランス]]に与えることにより、フランスが戦争を継続できなくなるよう企図したのである。当初においてこの作戦は成功をおさめていたが、この戦いを消耗戦と理解しない[[ヴィルヘルム・フォン・プロイセン (1882-1951)|ヴィルヘルム皇太子]]は[[ヴェルダン]]攻略に固執した。その結果、両軍とも泥沼式に師団を投入して多大な損害を出した。この戦いの最中に東部戦線での[[ロシア軍]]の[[ブルシーロフ攻勢]]や[[イギリス軍]]による[[ソンム攻勢]]が始まり、[[ドイツ軍]]はそちらの方に戦力を回さなければならなくなった。そのためヴェルダン攻略は中止された。