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戦後、南西諸島は米軍の占領下におかれ、'''沖縄県は一旦消滅'''した([[アメリカ合衆国による沖縄統治]])。米軍主導のもと新たに『[[琉球政府]]』が誕生、基地建設のため集落や農地を大規模に接収し、[[730 (交通)|右側通行の道路]]を整備し、通貨として[[B円]]、後に[[米ドル]]を使用させ、日本本土への渡航に[[パスポート]]が必要になるなど、米国流のやり方で戦後復興が進められていった。[[1952年]](昭和27年)に[[日本国との平和条約|本土が主権回復]]した後も引き続き沖縄は米軍の統治下におかれた。[[1950年代]]以降になると[[朝鮮戦争]]や[[ベトナム戦争]]が勃発し、沖縄は米軍の前線補給基地として重要度を増し、数多くの米軍人が駐留、[[B-52 (航空機)|B-52]]等の[[戦略爆撃機]]や[[枯葉剤]]や[[核兵器]]といった[[大量破壊兵器]]も多数配備され、ベトナムからは『悪魔の島』と恐れられた<ref>「1962年・沖縄 「核兵器庫」の嘉手納」毎日新聞2016年2月20日 東京夕刊</ref>。経済は基地に大きく依存していた一方で、当時ドル高円安の[[固定相場制]]の影響もあり物価は安く生活は安定しており、人口は終戦直後の約50万人から本土に復帰する直前にはほぼ倍になるまで増加した。しかし米軍による強権的・差別的な施政に島民は強い反感を抱き、本土への復帰を求める大規模な反基地運動が各地で展開されていった([[島ぐるみ闘争]])。[[1971年]](昭和46年)に[[佐藤栄作]]首相と[[リチャード・ニクソン]]大統領との間で[[沖縄返還協定]]が締結され、翌[[1972年]](昭和47年)に沖縄は日本に返還され'''沖縄県が復活'''した。([[沖縄返還]])<ref>ただし沖縄復帰を前に制定された「[[沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律]]」では、戦前の沖縄県が地方自治法に定める県として建前上存続するものとされた。</ref><ref>なお復帰に際して日本は米国に対し総額3億2000万ドルを支払っている(現在の為替レート(2016年10月時点)で約5000億円)</ref>。米軍統治時代から続く基地問題や[[不発弾]]の問題、[[日米地位協定]]の問題は当県の主要な政治課題となっている(「[[普天間基地移設問題]]」を参照)。
 
歴史的経緯・文化・風習・習慣・人名・方言・[[経済]]・制度的にも本土のそれとは大きく異なり、俗に県外のことを「[[内地]](ナイチ)」、県民以外の人を「内地人(ナイチャー)」と呼び分ける場合がある。
 
日本屈指の[[リゾート]]地であり、歴史文化・[[沖縄料理]]・[[レジャー]]・[[マリンスポーツ]]・[[戦争遺跡]]などを強みに[[観光]]分野に特に力を入れており、観光業を含む[[第三次産業]]が79.2[[パーセント|%]]を占めている一方で[[第一次産業]]は5.4%、[[第二次産業]]は15.4%と非常に低い<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/kodomo/sangyo/c1_uchiw.html 沖縄の産業/産業のうちわけ] - 2014-12-4閲覧</ref>。