「眼鏡キャラクター」の版間の差分

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→‎概要: 時系列を整理。「本当は見えてんねやろ」などの突っ込みで収拾するのは変形パターンではなく、通常のパターン。
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== 概要 ==
眼鏡が描かれた最も古い絵画は、トマッソ・デ・モデナが1352年に描いたヒュー・オブ・サン・シェールの肖像画である。ヒューの生前には眼鏡は発明されていないが、死後一世紀も経ってから描かれたこの肖像画であり、ヒューの生前に眼鏡は発明されていないが、尊敬のしるしとして眼鏡がき入れられたものである。聖者の肖像画に生前存在していなかったはずの眼鏡を描き入れる慣行はその後数世紀に渡って続いた。学識とか識字能力の持ち主、あるいは当代の実力者であることの証と考えられていたのであろう<ref>{{Cite book
|author = リチャード・コーソン
|title = メガネの文化史
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|publisher = 八坂書房}}</ref>。
 
このように眼鏡は古くから知性の象徴であったが、これを利用すると、ファッションであれば眼鏡を着用することで知性的なイメージをかもし出すことが可能になり、またフィクションの世界では頭のいい登場人物に眼鏡を掛けさせることで外見と性格を一致させ、より印象の強いキャラクターを作ることが可能になる。
 
ただし、最近はファッション性に富む眼鏡が広く知れ渡っているものの、それ以前はレンズが極端に厚い「瓶底眼鏡」(渦巻きを書き込むことでこれをさらに強調する)など、あまり見た目の良くない眼鏡のほうが認知度が高く、眼鏡を掛けることむしろイメージを下げることと考える人あっ<!-- ~と考える人もいた、としないと節冒頭との矛盾があからさま。-->
 
現在では眼鏡キャラクターに一定のファンがいることが認知されている。多くのフィクションでもこれらのファン(特に異性キャラのファン)を意識したキャラクターが存在し、現在では[[萌え]]のジャンルの一つに挙げられることもある。
 
フィクションにおいては普段は冷静に保っている登場人物が、何らかの拍子で眼鏡が外れてどこかに行ってしまうと「メガネメガネ…」と足元を探したり、眼鏡が曇ったり泥がついたりなどのアクシデントで見えなくなってしまうとそれぞれにおいてパニックになることがあったり、眼鏡がないと壁や電柱に頭をぶつけたり、精神的ショックを受けて眼鏡が割れるなどたりといった、現実ではありえないことが古典的に用いられる。どこかへ行ったメガネを探すネタは漫才においても、落ちた眼鏡を探すのが[[やすし・きよし]]の持ちネタであったが、いつまでも見当違いなところを探し続けるやすしに対して きよしが「本当は見えてんねやろ」などと突っ込みを入れると た途端にやすしが素早迷うことなく眼鏡を拾い上げ、本来の筋に戻パターンのであった。眼鏡を落としたからといって眼鏡を探すことすらできなくなるほどなにも見えなくなることなど現実にはないことを踏まえて、眼鏡を探すネタのわざとらしさを茶化したセルフパロディー落ちである。
 
== 漫画表現における描写 ==