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[[2008年]][[8月12日]]、王将戦二次予選準決勝で、A級八段の[[木村一基]]に勝った後の感想戦の最中に体に異変を起こし、病院に緊急搬送される。[[脳内出血]]と診断され、即、入院となった。その後、2009年3月31日まで休場することが発表された。この休場による最初の不戦敗の相手も、奇しくも木村一基であった<ref>[https://www.shogi.or.jp/news/2008/08/post_69.html 中原 誠十六世名人の不戦敗に関する件|将棋ニュース|日本将棋連盟]</ref><ref>[https://www.shogi.or.jp/news/2008/09/post_72.html 中原 誠十六世名人の休場について|将棋ニュース|日本将棋連盟]</ref>。
 
その後、棋戦復帰を目指して[[リハビリテーション|リハビリ]]を続けていたが回復が思わしくなく、将棋に関わる活動ができないと判断して、[[2009年]][[3月31日]]をもっての引退届を日本将棋連盟に提出。連盟理事会はこれを受理したことを、[[3月11日]]に発表<ref name="retire">[https://www.shogi.or.jp/news/2009/03/post_91.html 中原誠十六世名人が引退へ|将棋ニュース|日本将棋連盟]</ref>。[[2016年]][[5月30日]]付『[[日本経済新聞]]』「[[私の履歴書]]」によると、入院中に[[大腸癌|大腸がん]]が見つかり、治療に専念するために引退を決断したとしている。
 
発表当日、中原本人の記者会見<ref>[http://sankei.jp.msn.com/culture/shogi/090311/shg0903111702001-n1.htm 将棋の中原誠16世永世名人が引退表明] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090314063240/http://sankei.jp.msn.com/culture/shogi/090311/shg0903111702001-n1.htm |date=2009年3月14日 }} [[産経新聞]] 2009年3月11日閲覧</ref>が行われた。左の手足に不自由を抱え、右手に杖を持って記者会見場に姿を現した中原であったが、元気そうに、淡々とした口調で「43年という長い期間、タイトル戦など多くの勝負の舞台を踏ませていただき、十分に勝負を堪能した。その点で悔いはない。」と述べた。ただし、「悔いがあるとすれば(挑戦を逃した2003年の)竜王戦挑戦者決定戦。羽生さんと一度タイトル戦を戦ってみたかった」ともコメントしている<ref>[http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090311102.html 中原誠十六世名人「羽生さんと戦いたかった」] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090313040221/http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090311102.html |date=2009年3月13日 }}</ref>。