「博多華丸・大吉」の版間の差分

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その後、地元で開催されたオーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』([[テレビ西日本]]、1990年4月29日放送)に「岡崎君と吉岡君」の名で漫才コンビとして出場。結果は番組出演8組中2位まで合格のところ4位だったため不合格だったが、それがきっかけとなり、人手が足りないという理由で[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー福岡事務所|吉本興業福岡事務所]]に入るよう声がかかる。当初は躊躇していたが、[[長渕剛]]の楽曲『西新宿の親父の唄』で連呼される「やるなら今しかねえ」という歌詞に背中を押され決断、同年5月に1期生となる<ref>{{Cite news|date=2017-10-28|url=http://www.sanspo.com/geino/amp/20171028/geo17102815340017-a.html|title=華丸・大吉、デビューへ背中を押したのは長渕剛の歌 葛藤する2人に「やるなら今しかねえ」|newspaper=sanspo.com|publisher=サンケイスポーツ|accessdate=2017-10-29}}</ref>。初代吉本福岡事務所長の「芸人は本名ではなく芸名で」という方針で、当初「華丸・大吉」としてデビュー、その後、「芸名(平仮名で)7文字が売れる」ので「さらにめでたい名前をつけよう」という意向で、「'''鶴屋華丸・亀屋大吉'''」(つるやはなまる・かめやだいきち)と改名する<ref name=ametalk120517/>。
* DVD化されていないために検証不可のためwikiの今の公然的ソース根拠だと、無効だとは知りつつ、2013/10/19のテレビ朝日「ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!」及び、関西テレビのさんまのまんまにて、福岡吉本の最初の所長は、明石家さんまを長年面倒見てきたマネージャーで、大学生活を緩くやれればいいなぁあぐらいにしか考えていなかった二人にとって、何となく緩く成立しさえすれば何も問題はないのに、自分たちがまるで何もしていないかのように、芸人としてのストイックさがお前らにはまるで足りないと、ことあるごとに言い続け、それの引き合いとして明石家さんまの名を出してくる初代所長が大嫌いで、発足当時の福岡吉本で超エースであった竹山という芸人が逃げ出す程の追い詰め方をしていたため、初代所長が引き合いに出す明石家さんまのことも自然と一番嫌いな芸人と思うようになっていった。それは今も続いている。ちなみに、二代目所長は博多華丸大吉を芸人としてではなく、博多吉本所属のタレントとして扱ってくれたと述べている。
 
=== 福岡吉本時代 ===