「ヴィクトリア (ドイツ皇后)」の版間の差分

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Katzenfrucht (会話 | 投稿記録)
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=== プロイセン王太子妃として ===
[[File:Friedrich III und Victoria.jpg|thumb|180px|[[1858年]]頃、王太子夫妻]]
[[File:III.The FrigyesFamily ésof családjaCrown Prince and Crown Princess Frederick William of Prussia.jpg|thumb|180px|[[1862年]]、王太子、ヴィルヘルムとシャルロッテとともに]]
ドイツの[[ザクセン=コーブルク=ゴータ公国]]出身の父アルバートは、[[ドイツ統一]]の夢をかなえるべく、長女を[[プロイセン王国|プロイセン]]の[[フリードリヒ3世 (ドイツ皇帝)|フリードリヒ]]王子(愛称フリッツ)に嫁がせた。[[1851年]]に[[ロンドン万国博覧会 (1851年)|ロンドン万国博覧会]]を訪れたフリッツを、ヴィクトリア女王達は温かく歓迎した。ヴィッキーは当時10歳とはいえ溌剌とした楽しい女の子で、相手の気をそらさず、当時19歳であったフリッツをよく笑わせたという。それから2人は親しくなり、文通をするようになった。