「アルベール2世 (ベルギー王)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
26行目:
}}
{{Belgium Royal Family}}
'''アルベール2世'''({{Lang-fr|Albert II}}、[[1934年]][[6月6日]] - )は、第6代[[ベルギー]][[ベルギー国王の一覧|ベルギー国王]](在位:[[1993年]][[8月9日]] - [[2013年]][[7月21日]])。
 
名は'''アルベール・フェリックス・アンベール・テオドール・クリスチャン・ウジェーヌ・マリー・ド・ベルジック'''({{lang-fr|Albert Félix Humbert Théodore Christian Eugène Marie de Belgique}}、{{lang-nl|Albert Felix Humbert Theodoor Christiaan Eugène Marie van België}}、{{lang-de|Albert Felix Humbert Theodor Christian Eugen Maria von Belgien}})。
 
妃は[[イタリア]]のルッフォ・ディ・カラブリア公爵[[フルコ・ルッフォ・ディ・カラブリア|フルコ8世]]の娘である[[パオラ・ルッフォ・ディ・カラブリア]]。姉に前[[ルクセンブルク大公]][[ジャン (ルクセンブルク大公)|ジャン]]の妃[[ジョゼフィーヌ=シャルロット・ド・ベルジック|ジョゼフィーヌ=シャルロット]]、兄に第5代国王[[ボードゥアン1世 (ベルギー王)|ボードゥアン1世]]がいる。
 
== 経歴 ==
第4代国王[[レオポルド3世 (ベルギー王)|レオポルド3世]]の第3子。即位前は[[リエージュ公|リエージュ公爵]]であった。兄の第5代国王[[ボードゥアン1世 (ベルギー王)|ボードゥアン1世]]には子供がいなかったため、長らく[[推定相続人]]の立場にあった。
 
=== 幼少期から青年期・リエージュ公時代 ===
[[1934年]][[6月6日]]、[[ブラバント公爵]][[レオポルド3世 (ベルギー王)|レオポルド3世]]と、[[スウェーデン]]国王[[オスカル2世 (スウェーデン王)|オスカル2世]]の三男[[カール (ヴェステルイェートランド公)|ヴェステルイェートランド公カール]]の三女[[アストリッド・ド・スエード|アストリッド]]との間に次男として生まれる。
 
彼は幼少期を[[フランス]]、[[スペイン]]で、特にまた[[ブリュッセル]]で過ごし、母親の事故死と[[第二次世界大戦]]を経験する。[[1935年]][[8月29日]]に国王夫妻が[[スイス]]のキュスナハトにある別荘近くの道をドライブ中、レオポルド3世が運転を誤り車が[[ルツェルン湖]]に転落し、この事故で母である王妃アストリッドが死亡した。
 
その後、[[第二次世界大戦]]が勃発、ベルギーは降伏する。一家は[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]へと移送された。アルベールの10歳の誕生日である[[1944年]][[6月6日]]に[[ノルマンディー上陸作戦]]が決行される。その後、一家はアメリカ軍によって1945年5月7日に解放される。しかし、彼ら一家は即座に帰国出来たわけではない。戦後処理と国内問題によって1950年7月まで[[スイス]]での亡命生活を強いられる。
{{Main|レオポルド3世 (ベルギー王)#レオポルド3世の王位復帰に対する論争}}
1950年8月の帰国後にレオポルド3世は退位を発表した。翌[[1951年]][[7月17日]]に兄の[[ブラバント公]]ボードゥアン王太子が即位した。
48行目:
[[1959年]][[7月2日]]、[[イタリア]]のルッフォ・ディ・カラブリア公爵[[フルコ・ルッフォ・ディ・カラブリア|フルコ8世]]の娘である[[パオラ・ルッフォ・ディ・カラブリア]]と結婚した。その後はベルギー赤十字やベルギーオリンピック委員会の名誉職に就いた。
 
=== アルベール2世国王時代 ===
[[1993年]][[7月31日]]、[[スペイン]]南部に滞在中だった兄ボードゥアン1世が、[[心不全]]により死去した。兄王には子どもがいなかったため、同年[[8月9日]]、リエージュ公アルベールは新国王アルベール2世として即位した。アルベールが先代の国王たちと違ったのは、オランダ語系住民とフランス語系住民の対立([[言語戦争]])が続いたため、1993年に[[ベルギーの地方行政区分|フラマンとワロンとの区分]]を主とする[[連邦制]]に移行したことで、連邦国家の王となったところである。[[1994年]][[2月17日]]に新憲法に署名した。アルベール2世はドイツ語を含めた3つの言語の理解を促進、地域融和を訴える。アルベール2世は[[人種差別]]や[[排外主義]]をスピーチの中で定期的に非難し、積極的に機会均等と人種差別との闘いのためのセンターや多文化社会支援団体のサポートをしている。即位以来、極右主義的な人ないし彼の意図に反する人を王宮のレセプションに招待していない。また、第一次世界大戦終結の祝祭日である11月11日に毎年式典を主宰し、ベルギーの全国慰霊委員会など様々な愛国団体を支援している。[[EU]]の取り組みにも支持を表明している。
 
アルベール2世は宗教的な価値観に囚われず、自らの信仰とは別に議会の決定を尊重するとしている。兄が[[妊娠中絶]]法案に反対したのとは違い、[[安楽死]]や[[同性婚]]を認める法案に署名している。
62行目:
生前に退位を行ったベルギー王は、1951年に退位した[[レオポルド3世 (ベルギー王)|レオポルド3世]]に次いで2人目である<ref>{{cite news |title=ベルギー国王、退位表明=フィリップ皇太子が即位へ |newspaper=[[時事通信]] |date=2013-7-4 |url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=201307/2013070301012 |accessdate=2013-7-23}}</ref>。
 
退位の理由として、年齢や健康問題の他に、ベルギー王室には豪華なヨット購入や相続税逃れ疑惑が浮上し、国民の不満が高まっており、これから逃れるためという説もある。また、2013年6月にはアルベール2世の「隠し子」だと主張する女性が[[ブリュッセル]]の裁判所で訴訟を起こすという騒動が発生しており、これらの批判をかわすという側面も指摘されている<ref>{{cite news |title=ベルギー王室に世代交代の波 新国王、難局下の即位 |newspaper=[[日本経済新聞]] |date=2013-7-21 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2100S_R20C13A7FF8000/|accessdate=2013-7-22}}</ref><ref>{{cite news |title=「自分はベルギー国王の隠し子」、女性が王室を提訴 |newspaper=[[トムソン・ロイター|ロイター]] |date=2013-6-19 |url=http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPTYE95I04P20130619 |accessdate=2013-7-22}}</ref>。また、第7代国王の後継者[[フィリップ (ベルギー王)|フィリップ]]は国王としての才覚に欠けるとの評価もあり、2014年に予定されている選挙を前に、フィリップが政治経験を積む期間を設けるためであったとの説もある<ref>{{cite news |title=ベルギー国王が退位を表明、21日に皇太子に譲位 |newspaper=[[フランス通信社|AFPBB News]] |date=2013-7-4 |url=http://www.afpbb.com/article/politics/2954177/11002270 |accessdate=2013-7-23}}</ref>。
 
== 家族 ==
69行目:
* [[アストリッド・ド・ベルジック|アストリッド]](1962年 - )オーストリア=エステ大公[[ローレンツ (オーストリア=エステ大公)|ローレンツ]]妃
* [[ロラン・ド・ベルジック|ロラン]](1963年 - )
孫はベルギー王太子である[[エリザベート・ド・ベルジック|ブラバント女公エリザベート]]をはじめ、合わせて12人いる。2016年には初曾孫となるオーストリア=エステ大公女アンナ・アストリッド(第一王女アストリッドの孫、アルベール2世の初孫である[[アメデオ・ド・ベルジック|アメデオ王子]]の長女)が誕生した。
 
== 栄典 ==
79行目:
* [[聖マウリッツィオ・ラザロ勲章]]
 
[[ベルギー国王]]にはイギリス君主から[[ガーター勲章]]が贈られるのが慣例だったが、アルベール2世には贈られなかった。これはイギリス女王[[エリザベス2世]]が[[ボードゥアン1世 (ベルギー王)|ボードゥアン1世]]の葬儀に出席した際、葬列の最前列を求めたのに対して、ベルギー側が「最前列は最も親しかった王族専用にしたい」と断ったことを女王が恨みに思い、その意趣返しだったといわれている<ref>[[#君塚(2008)|君塚(2008)]] p.277-280</ref>
 
== 関連項目 ==
{{commons&cat|Albert II of Belgium|Albert II of Belgium|アルベール2世}}
* [[ル・ロゼ]] - 出身校。
* [[ベルギーのユーロ硬貨]] - アルベール2世の肖像が描かれている。
 
== 脚注 ==
92 ⟶ 87行目:
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=君塚直隆|date=2008年(平成20年)|title=女王陛下の外交戦略 エリザベス二世と「三つのサークル」|publisher=[[講談社]]|id=ISBN 978-4062145664|ref=君塚(2008)}}
 
== 関連項目 ==
{{commons&cat|Albert II of Belgium|Albert II of Belgium|アルベール2世}}
* [[ル・ロゼ]] - 出身校。
* [[ベルギーのユーロ硬貨]] - アルベール2世の肖像が描かれている。
 
== 外部リンク ==
110行目:
{{s-roy|be}}
{{s-new|reason=}}
{{s-ttl|title=[[リエージュ公|リエージュ公爵]]|years=1934年 - 1993年}}
{{s-non|reason=爵位廃止}}
{{s-end}}