削除された内容 追加された内容
初期の朝鮮半島史に登場する「靺鞨」は実態としては「濊」を指すことは概ね認められており、紀元前後に混在した諸民族の中に靺鞨を含めるのは妥当ではないと思われるため削除。李成市 『古代東アジアの民族と国家』、武田 幸男 『高句麗史と東アジア』参照。
543行目:
 
== 民族 ==
紀元前後の朝鮮半島は元来、[[しゅくしん|粛慎]]、[[挹婁]]、[[靺鞨]]、[[沃沮]]、[[濊]]、[[濊貊]]等、各諸民族の混在地域である。その後、[[秦の始皇帝]]の労役から逃亡してきた秦人によって移民国家である辰韓が建国される<ref>辰韓、耆老自言秦之亡人、避苦役、適韓國、馬韓割東界地與之。其名國為邦、弓為弧、賊為寇、行酒為行觴、相呼為徒、有似秦語、故或名之為秦韓。(辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界の地を彼らに割譲したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻すこと)と称し、互いを徒と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。)</ref>。
 
『[[魏志]]東夷伝』には、東アジアからも「[[陳勝]]などの蜂起、天下の叛秦、[[燕 (春秋)|燕]]・[[田斉|斉]]・[[趙 (戦国)|趙]]の民が数万口で、朝鮮に逃避した。」とあり、朝鮮半島は移民・渡来人の受け皿的役割を果たしていた。また隣国、百済・高句麗等の[[扶余語族|扶余系民族]]も国内に抱えていた。