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== 歴史 ==
* [[高句麗]]時代は所邑豆県(ソウトゥヒョン)と称されていた。
* [[1403年]]に、僧嶺県(スクリンニョンヒョン)が朔寧県(サクニョンヒョン)に編入された。
* [[1414年]]に、{{仮リンク|安峽郡|ko|안협군}}を合併して{{仮リンク|安朔郡|ko|안삭군}}となった。しかし、[[1416年]]には元に戻された。
* [[1895年]]に、朔寧郡に昇格した。
* [[1914年]][[4月1日]]、郡内面(クンネミョン)、東面(トンミョン)、西面(ソミョン)、南面(ナミョン)が[[漣川郡]]に、乃文面(ネムンミョン)、寅目面(インモミョン)、馬場面(マジャンミョン)が江原道[[鉄原郡]]にそれぞれ編入されて朔寧郡は廃止された<ref name="1914年" />。
**当時の朔寧郡にあったのは7面(郡内面、東面、西面、南面、乃文面、寅目面、馬場面)。
**このうち、郡内面は漣川郡北面(プミョン)、西面と南面は一緒になって漣川郡西南面(ソナミョン)となった。
* [[1934年]][[4月1日]]、漣川郡北面と東面が統合されて、朔寧面(サンニョンミョン)と改称された。
* [[1945年]][[9月2日]]、米ソが[[38度線]]を境界として朝鮮半島を分割占領することとなり、朔寧郡だった地域はすべて[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]の[[占領統治|軍政]]下に入った。
* [[1952年]]12月、[[朝鮮民主主義人民共和国]]が、朔寧面と西南面を鉄原郡へ編入し、漣川郡(北朝鮮では、{{lang|ko|련천군}})を廃止した。
* [[1953年]][[7月27日]]、[[朝鮮戦争]]の結果、[[大韓民国]]が朔寧面の陶淵里(トヨンニ、{{lang|ko|도연리}})、魚積山里(オジョクサンニ、{{lang|ko|어적산리}})、笛音里(チョグムニ、{{lang|ko|적음리}})それぞれの一部、西南面の古荘里(コジャンリ、{{lang|ko|고장리}})の一部、寅目面の南側に当たる道密里(ドミリ、{{lang|ko|도밀리}})、徳山(トクサンニ、{{lang|ko|덕산리}})、葛峴里(カリョンニ、{{lang|ko|갈현리}})、薪峴里(シニョルリ、{{lang|ko|신현리}})と、乃文面篤儉里(トッコムニ、{{lang|ko|독검리}})の一部を収復した。
* [[1954年]][[11月17日]]、大韓民国が漣川郡[[朔寧面]](サンニョンミョン、{{lang|ko|[[:ko:삭녕면|삭녕면]]}})の収復地区を[[中面 (漣川郡)|中面]](チュンミョン、{{lang|ko|[[:ko:중면|중면]]}})に、西南面古荘里を[[旺澄面]](ワンジンミョン、{{lang|ko|[[:ko:왕징면|왕징면]]}})に、鉄原郡寅目面の収復地区を[[新西面]](シンソミョン、{{lang|ko|[[:ko:신서면|신서면]]}})にそれぞれ編入した<ref>법률 제350호 수복지구임시행정조치법 ([[:ko:1954년|1954년]] [[:ko:10월 21일|10월 21일]])</ref>。
* [[1961年]]3月、朝鮮民主主義人民共和国が[[臨津江]]を境界として、その西側にあるかつての西南面の地域を、[[長豊郡]]に移管した。
* [[1963年]][[1月1日]]、大韓民国が[[鉄原郡]]新西面(寅目面の{{仮リンク|収復地区|ko|수복지구}}を含む)を漣川郡に編入した<ref>법률 제1178호 수복지구와동인접지구의행정구역에관한임시조치법 ([[:ko:1962년|1962년]] [[:ko:11월 21일|11월 21일]])</ref>。