「清凉寺」の版間の差分

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*紙本著色融通念仏縁起 2巻 - [[応永]]24年([[1417年]])作。詞書は[[後小松天皇]]、堯仁法親王、義円([[足利義教]])、[[二条持基]]、[[一条実秋]]、[[足利義持]]、[[細川満元]]、[[山名時煕]]、[[赤松義則]]、[[六角満高]]、[[斯波義重]]、[[広橋仲子|崇賢門院]]など。絵は六角寂済、粟田口隆光、藤原光国、藤原行広、永春、藤原行秀の6名。崇賢門院による息子の[[後円融天皇]]追善、または足利義持による[[足利義満]]追善のため制作された。制作年、詞書の染筆者、絵師名とその担当部分がすべて判明するのは極めて稀で、室町時代中期の基準作として貴重。
*紙本著色釈迦堂縁起([[狩野元信]]筆)6巻 - 永正12年([[1515年]])頃の作。詞書は定法寺公助と推定される。1,2巻は釈迦の生涯を描いた仏伝。3,4巻は優填王が造った清涼寺釈迦如来像が西域から中国へ運ばれる流転譚。5巻は奝然が釈迦如来像に感銘を受け模刻を造りこれを招来しようとすると、本物の釈迦如来像が日本に仏教を伝えるため模刻像と入れ替わって日本にやってくる奇瑞。6巻には絵はなく、清涼寺開創後の様々な霊験譚。
*紙本着色阿弥陀浄土図 - 鎌倉時代作。鎌倉時代以降に展開する独特の図様構成を示す浄土図の一例。本図は平安時代の源信『往生要集』等に記される極楽浄土の様子をつぶさに描き込むもので,これまで注目されてこなかったひとつの傾向を示す貴重な作例。緻密な描写や金銀の多様など,表現様式の上でも高く評価ができる。<ref>「解説」『文化審議会答申~国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定について~』2018年3月9日 
 
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*木造文殊菩薩騎獅像
*木造帝釈天(伝普賢菩薩)騎象像