「栃赤城雅男」の版間の差分

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しかし、[[1990年]]1月場所中に師匠が死去したため、同場所後に[[引退#大相撲|廃業]]を決意した。ただし、廃業届の提出が遅れたため、翌3月場所の[[番付]]では東[[三段目]]4枚目に「栃赤城」の四股名が載った。なお、[[三役]]経験者が三段目まで陥落したのは[[大豊昌央|大豊]]([[時津風部屋]]、1985年11月場所)以来であった。
 
諸事情当時の慣例により廃業力士が[[引退相撲]]を行うことは叶わず、[[断髪式]]は、群馬県[[前橋市]]内の[[ホテル]](群馬ロイヤルホテル)にて同年2月22日に執り行われた。
 
廃業後は家業の呉服店(金谷呉服店)を手伝っていたが、[[1997年]]8月18日に兄弟子であった[[山分]]親方(元[[前頭]]3・[[栃富士勝健|栃富士]])とのゴルフ中に倒れ、急逝した。死因は、[[急性心筋梗塞]]であった。42歳没。
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* [[小股掬い]]や[[四十八手#五輪砕き|五輪砕き]]など、珍しい技をよく使うことでも知られた。その一方で、立合いが雑であったことや攻め込まれてから技を繰り出すことが多かったことが嫌われたのか、殊勲賞・敢闘賞を各4回受賞しているにもかかわらず技能賞は1度も受賞できなかった。
* ヘビースモーカーで、貴ノ花(彼自身もヘビースモーカーであった)に「禁煙すれば、横綱も狙えるのに」とまで言われた<ref>貴ノ花は同様のアドバイスを千代の富士にも行い、千代の富士は貴ノ花の言を入れて禁煙し、それがきっかけで体重が増えて力を増し、後の横綱昇進につながっていった。</ref>。これを受けて、「禁煙して横綱だったら、[[煙草]]を吸いまくっての幕内の方が良いです」と答えたと言われる。栃赤城と同様、貴ノ花も還暦前の55歳で他界している。
* [[タニマチ]](後援者のこと)が大嫌いで、殆んど付き合わなかった。そのため、[[年寄名跡]]を取得することができず、廃業の憂き目を見た。引退相撲すら行えなかったことにも、これが関係している
* 群馬県出身の幕内力士は、[[1912年]]5月場所で入幕した[[白梅文治郎|白梅]]以来、ちょうど65年ぶりだった。その後、群馬県からは[[起利錦利郎|起利錦]]・[[琴錦功宗|琴錦]]・[[琴稲妻佳弘|琴稲妻]]・[[湊富士孝行|湊富士]]らが輩出した。中でも琴稲妻は栃赤城に憧れてプロの世界に入った。
* [[バロック音楽]]の鑑賞が趣味で、[[オーディオ機器]]に詳しかった。