「アイヌの歴史」の版間の差分

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== 北方諸民族との交流 ==
樺太アイヌは北方の[[ツングース]]系などの諸民族とも交流があり、それを介して大陸の[[中華]]王朝とも関係を持った([[アイヌ文化]]を参照)。[[1264年]] には樺太に侵入したアイヌ([[元_(王朝)|元朝]]の文献では「骨嵬」と書かれている)と[[ニヴフ]](同じく「吉烈迷」)との間に紛争が勃発した。この戦いには[[モンゴル帝国]]<!-- まだ元朝を名乗っていない時期です -->軍が介入し、アイヌからの[[朝貢]]を取り付けた(詳細は[[モンゴルの樺太侵攻]]を参照)。その後もアイヌは大陸との交易を続けていた。この交易は[[山丹交易]]と呼ばれ、江戸時代にはアイヌが交易によって[[清|清朝]]などから入手した絹織物や官服が、「[[蝦夷錦]]」と呼ばれて日本国内にも流通していった。
 
[[韓国]]では『[[三国遺事]]』にある[[新羅]]の第4代王[[脱解尼師今]]の出身地である[[龍城国]]をアイヌの部族国家とみて、[[脱解尼師今]]をアイヌとみる説がある<ref>{{Cite news|url=http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2017/01/11/0200000000AKR20170111049700371.HTML|title=이희용의 글로벌시대 귀화 성씨의 어제와 오늘|newspaper=[[聯合ニュース]]|publisher=|date=2017-01-17|archiveurl=http://web.archive.org/web/20170716054537/http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2017/01/11/0200000000AKR20170111049700371.HTML|archivedate=2017-07-16}}</ref>。
 
==年表==