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Yakouhai (会話 | 投稿記録)
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[[陸軍総司令部]]が最初に提案した上陸計画は、[[ドーセット]]から[[ケント]]に至る広大な地域へ一挙に上陸するという、野心的ではあったが無茶なものだった。当然ながら、計画はより現実的な形へと修正され、最終的に提出された案は、初期段階で9個師団67,000名を上陸させ、[[空挺師団]](降下猟兵)によってこれを支援させるというものだった。上陸予定地点には、西は[[イースト・サセックス州]]の[[ロッティンディーン]]から、東は[[ケント州]]の[[ハイス]]までの海岸が選ばれた。
 
上陸以降の内陸部侵攻作戦は、それぞれ進発地点から向かう目標が定められていた。[[シェルブール]]からは[[ライム・リージス]]へ、[[ル・アーブル]]からは[[ベントナー]]および[[ブライトン]]へ、[[ブローニュ=シュル=メール]]からは[[イーストボーン]]へ、[[カレー (フランス)|カレー]]からは[[フォークストン]]へ、[[ダンケルク]]からは[[オステンド]]および[[ラムズゲート]]へ、それぞれ向かうことなってう風にである。空挺部隊は[[ブライトン]]および[[ドーバー (イギリス)|ドーバー]]近郊へ降下することとなっていた。これら初期段階の攻勢によって海岸線を確保でき次第、北部への攻勢を開始し、[[グロスター]]、[[オックスフォード]]、[[マルドン]]を陥落させ、孤立化させた[[ロンドン]]を包囲する予定であった。北緯52度の線まで制圧を完了すれば、政治経済の中心である南部を押さえられるため、イギリスは降伏するだろうとドイツ軍は予測していた。
 
[[1940年]][[7月16日]]付けの総統命令において、[[アドルフ・ヒトラー]]は上陸作戦実施のための最低条件を示した。また、この総統命令に「私はイギリス上陸作戦の準備をし、必要ならばそれを実施することを決意した」と記した。ヒトラーの示した最低条件は以下のとおりである。
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* [[イギリス海軍]]海上部隊は、上陸作戦に介入できないよう、[[北海]]および[[地中海]]で拘束しなければならない。航空攻撃ないしは魚雷によって損傷、あるいは破壊することが望ましい。
 
この総統命令によって、海軍の[[エーリヒ・レーダー]]と空軍の[[ヘルマン・ゲーリング]]に、アシカ作戦を実行に移すための条件を整えることが求められた。
 
== 空軍 ==