「アシカ作戦」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m 画像 |
m →作戦計画 |
||
13行目:
[[陸軍総司令部]]が最初に提案した上陸計画は、[[ドーセット]]から[[ケント]]に至る広大な地域へ一挙に上陸するという、野心的ではあったが無茶なものだった。当然ながら、計画はより現実的な形へと修正され、最終的に提出された案は、初期段階で9個師団67,000名を上陸させ、[[空挺師団]](降下猟兵)によってこれを支援させるというものだった。上陸予定地点には、西は[[イースト・サセックス州]]の[[ロッティンディーン]]から、東は[[ケント州]]の[[ハイス]]までの海岸が選ばれた。
上陸以降の内陸部侵攻作戦は、それぞれ進発地点から向かう目標が定められていた。[[シェルブール]]からは[[ライム・リージス]]へ、[[ル・アーブル]]からは[[ベントナー]]および[[ブライトン]]へ、[[ブローニュ=シュル=メール]]からは[[イーストボーン]]へ、[[カレー (フランス)|カレー]]からは[[フォークストン]]へ、[[ダンケルク]]からは[[オステンド]]および[[ラムズゲート]]へ、それぞれ向かうこととなってい
[[1940年]][[7月16日]]付けの総統命令において、[[アドルフ・ヒトラー]]は上陸作戦実施のための最低条件を示した。また、この総統命令に「私はイギリス上陸作戦の準備をし、必要ならばそれを実施することを決意した」と記した。ヒトラーの示した最低条件は以下のとおりである。
22行目:
* [[イギリス海軍]]海上部隊は、上陸作戦に介入できないよう、[[北海]]および[[地中海]]で拘束しなければならない。航空攻撃ないしは魚雷によって損傷、あるいは破壊することが望ましい。
この総統命令によって、海軍の[[エーリヒ・レーダー]]と空軍の[[ヘルマン・ゲーリング]]に、アシカ作戦を実行に移すための条件を整えることが求められた。
== 空軍 ==
|