「田子ノ浦部屋」の版間の差分

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日本相撲協会は2014年からの[[公益財団法人]]への移行に伴い、年寄名跡を協会側で一括管理するために、2013年12月20日までに年寄に対して協会へ年寄名跡証書を提出することを求めていたものの、14代は年寄・鳴戸の名跡証書の所有者である13代夫人との話し合いが付かず、日本相撲協会が定めた期限までに名跡証書を提出できなかったため、2012年2月に急逝した14代[[田子ノ浦 (相撲)|田子ノ浦]](元幕内・[[久島海啓太|久島海]])の夫人が所有する年寄・田子ノ浦の名跡を正式に取得し、同年12月25日に日本相撲協会へ年寄・田子ノ浦の名跡証書を提出すると共に、正式に16代田子ノ浦を襲名した<ref>[http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20131227-1236539.html 稀勢、27年間の人生で初めての1人暮らし] [[日刊スポーツ]] 2013年12月27日記事</ref>。これに伴い、同日付で部屋名が鳴戸部屋から'''田子ノ浦部屋'''へと変更され、大関・稀勢の里ら所属力士12人と行司2人・呼出1人・床山1人はそのまま田子ノ浦部屋の所属となった。
 
しかし鳴戸部屋の施設は13代鳴戸夫人が所有しているため、田子ノ浦部屋一同はそれまで使用してきた部屋の施設からの転居を余儀なくされた<ref>[http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20131227-1236539.html 稀勢、27年間の人生で初めての1人暮らし] [[日刊スポーツ]] 2013年12月27日記事</ref>。そこで、翌26日には、16代田子ノ浦以下全員が同年10月に閉鎖された[[三保ヶ関部屋]]の旧施設(墨田区)へ、新部屋新設するまでの約半年間の予定で移転した<ref>この時点で旧・田子ノ浦部屋の稽古土俵は撤去されており、新・田子ノ浦部屋一同が稽古場として利用することは不可能だった。:[http://www.sanspo.com/sports/news/20131226/sum13122605000000-n1.html 鳴戸部屋消滅…綱取り稀勢、流浪生活?稽古場がない!] [[サンケイスポーツ]] 2013年12月26日記事 </ref><ref>13代鳴戸未亡人は「(田子ノ浦部屋一同が)引っ越すことも聞いていません。昼間、トラックが突然来て、荷物を運び出していました。どこに転居したかも知らないんです。一言のあいさつもありませんでした。何が起きているか、報道で知るだけなんです」と移転の実態を主張している。: [http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20131227-1236542.html 先代鳴戸夫人反論「出て行け言ってない」] 日刊スポーツ 2013年12月27日記事</ref>。その後、当初の予定よりも新しい部屋施設の完成は遅れたものの、2014年12月14日に新築した施設での部屋開きを行った。いち早く弟子の稀勢の里に横綱に昇進してほしいという意図から、部屋開きの際に既に在位していた横綱による土俵入りは行われなかった<ref>『相撲』2018年3月号 p.89</ref>
 
2018年2月1日には、部屋付き親方である12代[[西岩]](元関脇・若の里)が内弟子2人を連れて分家独立して[[西岩部屋]]を創設した。