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== 概要 ==
[[アウグスティヌス]](354-430)は、著書『告白』第11巻において、過去・現在・未来という時があるのではないと述べ、実際には過去の現在(過去が現にあること、過去を現に心に描いていること)、現在の現在、未来の現在があるのだとした。つまり、我々が過去と思っているのは結局、すでに起きたことの想起([[記憶]])なのだと述べたのである。
 
<!--{{要出典範囲|[[時間]]の概念としての[[現在]]とも同一の物差しの上で比較することができる。|date=2011-4}}-->
<!--{{要出典範囲|過去はまた、[[時間]]の流れが始まった後のある特定の時に発生した出来事の集合としてみなされることもある。|date=2011-4}}-->
<!--{{要出典範囲|これらの概念は、[[アルベルト・アインシュタイン|アインシュタイン]]の[[相対性理論]]と密接に関係している。|date=2011-4}}-->
 
[[大森荘蔵]](1921 - 1997)は『時間と自我』において、過去は「想起という様式」で振り返られる中にのみ存在する、と述べ、人々が“想起とは過去経験の再現または再生である”と思っているのは間違いだ、と指摘する。想起という様式が過去なのであって、他に過去があるわけではない、とする。
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大森は、過去というのは言語の[[過去形]]を用いた知覚であるとする。
 
<!--{{要出典範囲|厳密に言えば、過去は少なくとも[[物理学]]的には存在しない。|date=2011-4}}-->
 
<!--{{要出典範囲|しかし、人間は過去の出来事を[[古代]]から[[記録]]してきたしそもそも人間の性質として、過去を記録し、思いだし、また記憶し直面している状況と関連づけて思考できるということが挙げられる。|date=2011-4}}
 
<!--{{要出典範囲|ゆえに過去は、このように[[人間]]が未来を適当かつ理論的に[[計画]]できるようにしているという点で存在しているといえよう。|date=2011-4}}-->
 
過去は、[[歴史]]・[[考古学]]・[[古天文学]]・[[歴史言語学]]・[[歴史地質学]]・