「パブロ・シーグレル」の版間の差分

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名門ブエノスアイレス音楽院で金賞を受賞、首席で卒業。14歳で[[クラシック音楽の演奏家一覧|クラシック]][[ピアニスト]]としてデビューする。ガリア・シャルフマンとアドリアン・モレーノにピアノを、ヘラルド・ガンディーニとフランシスコ・クロプルフに作曲法を学んだ。 <ref>[http://www.10tango.com/artists-jp-1-パブロ・シーグレルziegler-pablo]10Tango.com パブロ・シーグレル</ref>
 
作曲家として映画 「''Tacos Altos」''(1985)、ドラマ映画「''Adios Roberto」''(1985)<ref>[https[[://en.wikipedia.org/wiki/:Adiós,_Roberto Roberto]]
]''Adiós, Roberto Music by Pablo Ziegler''</ref>、演劇 「''Polvo de Estrellas」''、テレビシリーズ 「''La Noche de los Grandes」''、バレエ、コマーシャル等の作曲を数々手掛け、演劇「Traición」の作曲でアルゼンチンのアルレキン最優秀作曲賞を受賞する。<ref>[http://www.imdb.com/name/nm1047261/?ref_=ttfc_fc_cr3]IMDb, Music by Pablo Ziegler</ref>
[[en:Adiós, Roberto]]
 
当時アルゼンチンで絶賛されていたパブロ・シーグレル・トリオの評判を聞きつけ<ref>[https://www.last.fm/es/music/Pablo+Ziegler,+Quique+Sinesi+w.+Walter+Castro/+wiki]last.fm, Biografia de Pablo Ziegler</ref>、クラシックピアニストとしてヴィルトゥオーゾかつ[[ジャズ]]の即興の才をもつピアニストを探していたタンゴの革命児アストル・ピアソラに、アストル・ピアソラ五重奏団のメンバーとして招かれる。1978 年から1989年の師の引退まで10年余巨匠を支え、ピアニストとしてヨーロッパを中心とする世界ツアーに参加し、オーケストラとの公演にも出演。ピアソラ五重奏団の音楽的発展に大きな影響を与える。ピアソラの黄金時代にリリースされた「''Zero Hour」''、「''La Camorra」''、「''The Central Park Concert」、「Live At The Montreal Jazz Festival」''<ref>[https://www.discogs.com/Astor-Piazzolla-Y-Su-Quinteto-Live-At-The-Montreal-Jazz-Festival/release/4242696]Astor Piazzolla Y Su Quinteto ‎– Live At The Montreal Jazz Festival</ref>等にも参加する。1990年にパブロ・シーグレル四重奏団を立ち上げる。