「ネブカドネザル2世」の版間の差分

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エルサレムの破壊後、ネブカドネザルは地中海沿岸の都市[[テュロス]]に対して13年に及ぶ攻囲(紀元前586年~573年)を行ったが、完全な勝利を得ることはできず、テュロスがバビロニア帝国に服従することを条件に兵を引くことで決着した。<ref>Ronald F. Youngblood, F. F. Bruce, R. K. Harrison, ed. (2012). Unlock the Bible: Keys to Exploring the Culture and Times. Thomas Nelson. p. 347.<br>
(『聖書を解き明かす:文化と時代を探る鍵』 (編:ロナルド F ヤングブラッド、 F.F.ブルース、 R.K.ハリソン、 トーマス・ネルソン社(米国)、2012年) p.347より)</ref><br>
<ref>Allen, Leslie C. (2008). Jeremiah: A Commentary. Westminster John Knox Press. p.472.<br>
(『エレミヤ書 注解』(レスリー.C.アレン(フラー神学校(米国)旧約聖書主任教授)、ウェストミニスター・ジョン・ノックス出版(米国)、2008年)p.472より)</ref><br>
 
テュロスとの講和の後、ネブカドネザルは再びエジプトに向かった。大英博物館に収められている粘土板にはこう記されている。「バビロンの王ネブカドネザルの治世第37年、王は、ミズレイム<ref>Mitzraim。バビロニアの文書において、エジプトを指す</ref>に対して戦争を行った。エジプトのファラオ、アマシス(注:イアフメス2世)は[彼の軍隊を]集め、進軍してエジプトの領土外に軍を展開した。」<br>
 
フェニキアの征服とエジプトへの遠征を終えた後、ネブカドネザルはバビロンの再建と装飾に着手した。また、彼は運河、水路、寺院、貯水池を整備した。<br>