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[[ファイル:Huang Gongwang Stone Cliff at Pond of Heaven.jpg|thumb|right|黄公望]]
'''黄公望'''(こう こうぼう、[[1269年]] - [[1354年]])は、[[中国]][[元 (王朝)|元朝]]末期の[[水墨画]]家。[[倪サン|倪瓚]]、[[呉鎮]]、[[王蒙 (画家)|王蒙]]と並び「[[元末四大家]]」と賞され、その中でも、もっとも広い画風をもち、後代に与えた影響も一番大きいと言われる<ref>発行人・児山敬一『人物学習辞典2巻 オハ~サト』昭和61年、312頁。</ref>。
 
== 略歴 ==
1269年、[[蘇州市|蘇州]](現・[[江蘇省]])[[常熟市|常熟]](現在の[[江蘇省]])に生まれる。両親が早世したため、[[浙江省温州市|温州]][[温州永嘉県|永嘉]](現在の[[浙江省]])の黄家に養子に出され、黄家で十分な教育を受け育つ。
 
黄は才能はあったが、元代は[[士大夫]]の登竜門であった[[科挙]]が不定期にしか実施されず、行われたとしても旧南宋領域の住人(いわゆる「[[南人]]」)には著しく不利であったため長らく官に就けず、40歳を過ぎて初めて蘇州の属吏となるも、程なく黄自身は無関係の徴税不正事件に連座して失職し、官界での前途を断たれた。
 
その後黄は官途に就こうとせず占い師、戯曲家、[[道士]]などの遍歴を重ねるが、この間、[[趙孟フ|趙孟頫]]の知遇を得て絵画を志し、50歳を過ぎて本格的な画家活動に入り「[[九峰雪霽図]]」などを世に送り出した。
 
79歳の頃、浙江省[[富陽区|富陽]](現在の浙江省)に移住、この地で描かれた「[[富春山居図]]」は水墨画の代表的な傑作として知られている。
 
== 脚注 ==