「ネブカドネザル2世」の版間の差分

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(『エレミヤ書 注解』(レスリー.C.アレン(フラー神学校(米国)旧約聖書主任教授)、ウェストミニスター・ジョン・ノックス出版(米国)、2008年)p.472より)</ref><br>
 
テュロスとの講和の後、ネブカドネザルは再びエジプトに向かった。大英博物館に収められている粘土板にはこう記されている。<ref>Elgood, Percival George. 1951. Later Dynasties of Egypt. Oxford: Basil Blackwell, p. 106.<br>
(『後期エジプトの王朝』(パーシバル・ジョージ・エルグッド、バジル・ブラックウェル書店(イギリス)、1951年)p.106より)</ref>大英博物館に収められている粘土板にはこう記されている。「バビロンの王ネブカドネザルの治世第37年、王は、ミズレイム<ref>Mitzraim。バビロニアの文書において、エジプトを指す</ref>に対して戦争を行った。エジプトのファラオ、アマシス(注:イアフメス2世)は[彼の軍隊を]集め、進軍してエジプトの領土外に軍を展開した。」<br>
 
フェニキアの征服とエジプトへの遠征を終えた後、ネブカドネザルはバビロンの再建と装飾に着手した。また、彼は運河、水路、寺院、貯水池を整備した。<br>