「ムハンマド・ビン・トゥグルク」の版間の差分

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{{基礎情報 君主
[[File:Forced token currency coin of Muhammad bin Tughlak.jpg|thumb|ムハンマド・ビン・トゥグルクのコイン]]
| 人名 = ムハンマド・ビン・トゥグルク
'''ムハンマド・ビン・トゥグルク'''(Muhammad bin Tughluk,? - [[1351年]][[3月20日]])は、[[インド北部]](一時的に[[インド]]全土)を支配した[[トゥグルク朝]]の第2代君主(在位:[[1325年]] - 1351年)。父王時代にはウルグ・ハーン(Ulguh Khān)、あるいはウールー・ハーン(Ūlū Khān)と呼ばれた。
| 各国語表記 =
| 君主号 = [[トゥグルク朝]]第2代君主
| 画像 = Forced token currency coin of Muhammad bin Tughlak.jpg
| 画像サイズ =
[[File:Forced| token画像説明 currency coin of= Muhammad bin Tughlak.jpg|thumb|ムハンマド・ビン・トゥグルクのコイン]]
| 在位 = [[1325年]] - [[1351年]]
| 戴冠日 =
| 別号 =
| 全名 =
| 出生日 =
| 生地 =
| 死亡日 = [[1351年]][[3月20日]]
| 没地 =
| 埋葬日 =
| 埋葬地 =
| 継承者 =
| 継承形式 =
| 配偶者1 =
| 配偶者2 =
| 子女 =
| 王家 =
| 王朝 =
| 王室歌 =
| 父親 = [[ギヤースッディーン・トゥグルク]]
| 母親 =
| 宗教 =
| サイン =
}}
'''ムハンマド・ビン・トゥグルク'''(Muhammad bin Tughluk, ? - [[1351年]][[3月20日]])は、[[インド北部]](一時的に[[インド]]全土)を支配した[[トゥグルク朝]]の第2代君主(在位:[[1325年]] - 1351年)。父王時代にはウルグ・ハーン(Ulguh Khān)、あるいはウールー・ハーン(Ūlū Khān)と呼ばれた。
 
== 生涯 ==
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だが、英主と知られた父の死は敵国を蠢動させ、[[1327年]]には[[チャガタイ・ハン国]]軍が来襲する。この来襲では[[デリー]]北部にまで侵食されるほどの大事となったが、[[ジェーラムの戦い]]でチャガタイ・ハン国を撃破し、さらにこれに呼応した周辺諸国をも滅ぼした上、現在の[[アフガニスタン]]や[[カズニー]]地方まで勢力を拡大するという快挙を行なった。
 
1329-30年と37-38年にはヒマラヤ遠征も行なわれた。第一回目の遠征はヒマラヤ山脈を越えてチベットまで遠征し、第二回目は現インドのインドヒマーチャル・プラデーシュ州カングラへ向けて遠征し、スルタンの権力基盤である多くのマムルーク軍人を失った<ref>家島彦一訳イブン・バットゥータ大旅行記第5巻pp210、pp.210-214,pp426、pp.426-433</ref>。
 
その後、一族や重臣の諫言を無視して[[デカン高原]]の西にあるデーヴァギリ(遷都後にダウラターバードに改名)に遷都を強行する<ref>ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.138</ref>。さらに通貨改革を実行して逆に偽造通貨が流行して物価の大混乱を招いて失敗した。[[1334年]]には周囲の反対が根強かったためにデリーに還都するが、数年にわたって中心地で無くなったデリーはすっかり荒廃しており、この復興に相当の資金をかけることになった<ref>ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.139</ref>。また、どれだけ本気だったのかは不明だが、ホラーサーン地方に対する遠征を計画している<ref>ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.138</ref>。
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== 外交政策 ==
マムルーク朝の庇護下にあったカリフに使節を送り、カリフの代理統治権の承認を得ようとした(使節は1329年と43年の二度送られ、第一回目は失敗し、第二回目はカリフからの答礼使節がデリーに到着した)。マムルーク朝時代の史家イブン・ハジャル(ibn Ḥajar)によると、東アフリカのマクダシューフ(現[[モガディシュ]])やサランディーブ(現[[スリランカ]])でも金曜モスクでの説教の際、彼の名が唱えられていたという<ref>家島彦一訳イブン・バットゥータ大旅行記第5巻p402、p.402</ref>。
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
*[[イブン・バットゥータ]]  『[[大旅行記]]』全8巻 イブン・ジュザイイ編、[[家島彦一]]訳、[[平凡社]]〈[[平凡社東洋文庫]]〉、1996-2002年。イブン・バトゥータは1334-42年の8年間トゥグルグ朝の役人としてデリーに滞在した。この期間を記した部分は同時代のインド史料としての価値を有している。
*{{Cite|和書|author =フランシス・ロビンソン|authorlink = フランシス・ロビンソン| translator=月森左知|title =ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)|publisher =創元社|date =2009年|isbn =}}