「ネブカドネザル2世」の版間の差分

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彼はその治世の間に、バビロン市で大規模な建築事業を行ったことで知られている。ニネヴェが存在した最後の世紀、バビロンは壊滅的に破壊されていた。これは、センナケリブやアッシュル・バニパルによる破壊のみならず、バビロン市民による度重なる反乱にもよるものであった。ネブカドネザルは、父ナボポラッサルの事業を継承し、バビロンを世界屈指の都市によみがえらせることを目指した。<br>
 
バビロンの[[マルドゥク]]神殿と[[ジッグラト]]は大幅な改修が行われ規模が拡張された。バビロニアの数多くの守護神に献げるため、目を見張るほど壮大な新しい建築物が建てられた。ナボポラッサルによって始められた王宮の建設を完了させるため、「杉材、青銅、黄金、銀、希少かつ貴重な石」などの物資が惜しみなく費やされた。<ref>Smith, William and Fuller, J.M. 1893. A Dictionary of the Bible: Comprising Its Antiquities, Biography, Geography, and Natural History. London: John Murray, vol. I, p. 314.<br>
({{仮リンク|『スミスの聖書事典 - 遺跡・伝記・地理・自然史』|en|Smith's Bible Dictionary}}(著:ウィリアム・スミス、J.M.フラー、ジョン・マレー出版(英国)、1893年)第1巻p.314より)</ref>[[ユーフラテス川]]に橋を通かけ、地下道を建設して両岸をつなぎ、市域が対岸にも拡張された。都市の周囲には三重の城壁を建設し、まさに難攻不落となったのである。ネブカドネザルはこれらの建築に使われたレンガなどに自分の名前を刻印させており、バビロン市の整備に情熱を燃やした彼の名を現代に留めている。ユーフラテス川に渡された橋は、とりわけ興味深い。橋は、アスファルトで覆われたレンガの橋脚により支えられているが、この橋脚は、上流側の圧力と下流側の乱流に抵抗するために流線型をしており、水流で土台が揺らぐことを防いでいる。<br>
 
彼はまた、宮殿に通じる大通りを作り(行列道路)、バビロンに入るための8つの門のうちの1つである、「[[イシュタル門]]」を建設したとされる。これは彩色レンガを用いて青を基調にした装飾性豊かな門であり、現在、[[ベルリン]]の[[ペルガモン博物館]]で復元展示されているほか、[[イラク]]でもレプリカが建設されているなど、古代バビロニアを象徴する建造物の一つとなっている。<ref>Foster, Karen Polinger (1998). Transformations of Middle Eastern Natural Environments: Legacies and Lessons. New Haven: Yale University. pp. 320-329. Retrieved 2007-08-11.<br>
(『中東の自然環境の変容:遺産と教訓』(カレン・ポリンガー・フォスター、イエール大学出版(米国)、1998年(2007年8月再版))p.320-329より)</ref>これは彩色レンガを用いて青を基調にした装飾性豊かな門であり、現在、[[ベルリン]]の[[ペルガモン博物館]]で復元展示されているほか、[[イラク]]でもレプリカが建設されているなど、古代バビロニアを象徴する建造物の一つとなっている。<br>
 
ネブカドネザルの建設事業は首都に止まらなかった。彼は、シッパルの湖の再建やペルシア湾での開港、メディアの城壁の建設を行ったとされる。メディアの城壁とは、ティグリス川とユーフラテス川の間に築かれた城壁で、北方からの敵の侵入を防ぐためのものであった。これらの事業には、膨大な労働力を要した。マルドゥク神の大神殿の碑文の記述によれば、彼の公共事業に用いられた労働力は、西アジア各地から連れてこられた奴隷から成る可能性が極めて高い。<br>